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ディミトリ・ヤシュビリ、スパイクを脱ぐ(?)。

2014/04/25

 4月19日土曜日。まだ5月3日の最終節が残されているが、ホームグラウンド『アギレラ』での試合は今シーズンこれが最後。ヤッシュは12年間親しんだ芝生とバスクの熱烈なサポーターに別れを告げた。 
 
 ヤッシュこと、ディミトリ・ヤシュビリ。フランスチャンピオン5回、ここ15年で3度トップ14を制したバスクの雄、ビアリッツ・オランピックの黄金期をスクラムハーフとして演出。イングランドチャンピオンの肩書きを下げて2002年にグロスターからビアリッツに加入すると、2004年、2005年シーズンのチームのトップ14連覇に貢献。同時に、祖父も父も元フランス代表、兄弟もプロラグビー選手(兄はグルジア代表としてプレー)というサラブレッドは、トリコロールのジャージに袖を通すこと61回、フランス代表として歴代2位の373得点を積み上げた。ユース年代にはサッカーでもフランス1部リーグのニースでプレーしていたほどのそのキックセンスは、当時イングランド代表スクラムハーフだったアンディ・ゴマーシャルに、「彼は非常に質の高いパスを持っている。そしてスクラムハーフとしては間違いなく世界最高のキックの使い手だよ」と言わしめたほど。プレースキックのみならず、空いたスペースに軽くあげるハーフパントも彼の十八番だった。グラウンド外では常に控えめで、取材にもはにかむように応えるヤシュビリだが、年月を経るとともにそのキャプテンシーはクラブでも代表でも発揮され、2011年のワールドカップ決勝、オールブラックスのハカに対して、「V」の字で相対するアイディアを出したのは彼だった。

 しばらく前までは、代表復帰の声さえ聞こえていたほどで、2015年までビアリッツとの契約を残している33歳のヤシュビリが今シーズン限りでスパイクを脱ぐなんて、シーズン前は誰も想像していなかった。ところが、グラウンド内外で問題が続出したビアリッツ・オランピックの、こちらも誰も予想だにしなかった2部降格がシーズン終盤に決定。愛するクラブを救えなかったやるせなさに加え、元フランス代表フルバックでフランスラグビー界の重鎮であり、ビアリッツの現会長であるセルジュ・ブランコが、ほぼ2部降格が決まった時期に他クラブとの接触が報じられたヤシュビリを含めた何人かの古参を「裏切り者」呼ばわりしたことも、12年間最高のプロ意識を見せてクラブに忠誠を尽くしてきた9番には大きく応えた。「あれには、心の底から傷ついた。あれが引退の決定に大きく影響したのは確かだよ。12年間クラブにいて、自分が裏切るようなことをしたとは思えない」。「もう、精神的にも、肉体的にもくたくただよ。今が自分にとっての止め時だ。身体が止めることを必要としているのを感じるんだ。自分の直感を信じて、身体の言っていることを聞くだけだ」。もし2部に降格していなければ、精神的に違っていただろうと認めつつ、「どちらにせよ、望むことをすべてプログラムすることが出来ると思いながら、最終的には、人生の中の色々なものはコントロールできないものさ」と、本人も予定していなかったであろう去り際を語った。

 それでも、チーム内外にヤシュビリの引退を惜しむ声は多く、引退発表の翌日から、メディアの間では翌シーズン途中のカムバックの可能性が、まことしやかに囁かれる始末。ビアリッツのフォワードコーチであるローラン・ロドリゲスも、教え子にこう言葉を贈った。「ディミトリ、お前に言おう。身体をしっかり調整しておけ。多分、またプレーするだろうから。少しゆっくりして、そのうちまた新しい誘いがあるさ」。

 「感動しているよ。自分のキャリアの中でやり遂げたすべてのことをとても誇りに思い、幸せだよ。この1週間は色々なものがこみ上げてきて難しかった。この最後のゲームも心配だった。ここビアリッツで勝てたことを誇りに感じるよ。引退することに対する後悔があるかはわからないけど… 明日がどうなっているかは、まだわからない。引退するっていう実感がわかない。クラブ全体、サポーターにお礼を言いたい…」と勝利で飾った土曜日の試合後に語ったヤッシュは、最後にこう加えた。「それでも、人生は続いていく」。

 芝生の上か、外なのか。答を知るのはもう少し先になりそうだ。

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