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2015/03/09

 3月5日にダブリンのワールドラグビーハウスで、ワールドラグビーと国際ゲイラグビー連盟が、スポーツ界におけるあらゆる性差別の撤廃を目指し、「歴史的」な協定を結んだ。

 

 性的マイノリティに対するあらゆる差別を根絶すべく両団体は、「あらゆる選手、レフェリー、観客が、その性的指向によって差別されることなくラグビーに関われるようにすること」と「ラグビー界への性的マイノリティの参加と同性愛差別の根絶」を基本方針として、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーのコミュニティの問題にラグビーを通して取り組むことを発表。ラグビー界のあらゆるレベルで性的少数者への差別をなくし、誰もが安心して参加できるよう、地域レベルで性差別撤廃のために活動している各団体と協力し、同性愛差別をなくすべく各国協会にも啓蒙活動を行う。また、ワールドラグビーは国際ゲイラグビー連盟主催の大会へのサポートも行うとしている。

 

 協定締結後ワールドラグビー会長ベルナール・ラパセは、以下のようにコメント。

 

「私たちは性差別廃絶、平等、友愛の更なる促進を目指して国際ゲイラグビー連盟と協力していく。ラグビーは、情熱、高潔、団結心、尊敬、規律の精神を培う差別のないスポーツだ。この歴史的な協定の締結は、ゲームはみんなのものという、ラグビーが持つこの価値観を明らかにするものである」

 

 国際ゲイラグビー会長のジェフ・ウィルソンも、この協定の意義を強調。

 

「性的少数者のアスリート、サポーター、レフェリー、関係者と、彼らをラグビー界でサポートする人たちにとって、これは大きな機会だ。ワールドラグビーは、あらゆるスポーツの運営団体の中で、初めて同性愛差別撤廃に取り組む先駆者的存在だ。この世界で、ラグビーが最も非差別的で寛容なスポーツになるように、ともに仕事をしていく」

 

 昨年7月にはシドニーで、スーパーラグビーのワラタス対ハイランダーズの前座として、史上初めてプロラグビーの試合と同じ枠組みで、ゲイのラグビークラブであるシドニーコンビクツがマッコーリー大学と対戦。2009年には、2010年に15人制ラグビーから13人制に移籍して翌年引退するまでに、15人制だけでウェールズ代表100キャップを数え、シェーン・ウィリアムスに抜かれるまで代表最多記録だった40トライをあげたガレス・トーマスが、ゲイであることをカミングアウトしている。また、国際審判員の中でもトップレフェリーの一人、同じウェールズのナイジェル・オーウェンスもゲイであることを公表しており、試合中の名言とそのフレンドリーな性格で、自国以外でも人気がある。

 

 少しずつ扉は開かれてきているが、それでもラグビー界には、その肉体のみならず、頭と考え方までマッチョな人間がいるのも残念ながら紛れもない事実。21世紀にもなって論じなければいけないのがバカバカしいほどの問題だが、いまだ性的マイノリティに対する差別と無知の根は深い。スポーツ界全体のモデルとなれるのか、試されるのはラグビーの持つ価値観、すなわち人間性である。

2015/02/13

 予想された通り、水曜日に発表されたマレーフィールドでのスコットランド戦に向けたウェールズ代表メンバーの中に、ジョージ・ノースの名前はなかった。

 

 先週金曜日のミレニアムスタジアムでのイングランド戦。既に前半にイングランドのアトウッドのキックを偶然頭に受け、脳震盪のプロトコルで一時退場していたノース。後半61分、ブラウンを捕まえようとしたときに、タックルに来ていた味方フッカーのヒバードと衝突し、ノックアウトされたボクサーのごとくそのまま崩れ落ちた。そばにいたイングランドウイングワトソンが気遣って声をかけ、ウェールズのメディカルスタッフもすぐに駆けつけたのだが、脳震盪のプロトコルは実施されず、すぐに立ち上がったノースはそのまま試合終了までプレーし続けた(https://www.youtube.com/watch?v=LrWDOZmhqmg)。

 

 これが、選手の安全を無視して、ウェールズ側がノースをプレーさせ続けたいためにわざとチェックをしなかったのではないかと、試合後問題となった。ワールドラグビーが緊急の調査を実施し、2度目の衝突に関してはウェールズのメディカルスタッフもマッチドクターも見ていなかったという説明を受け入れたものの、「2度目の衝突の後、ノースはグラウンドに残るべきではなかった」と発表。

 

 問題の場面では、ノースのコンタクトの後にプレーが切れ、そのままビデオ判定が行われていたため、直後にはノースのノックアウトシーンはスタジアムのスクリーンに映されず、グラウンドレベルにいたメディカルスタッフはその場でリプレイを見る事ができなかったというのは事実だろう。スタンドから見ていたイングランド監督ランカスターも、「とても難しい。私は見ていなかった。ほかに誰か見ていたのかもわからない」と答えている。

 

 ワールドラグビーの指針では、脳震盪の疑いのあるプレーヤーはグラウンド外で10分間のプロトコルの時間が与えられ、疑いが残る場合はゲームには戻れないことになっている。ビデオを見れば今回のノースに関しては完全にそれに当てはまり、上記の発表となったわけだが、現行のシステムではカバーしきれていない穴があるという証明にもなった。また、ノースは昨秋のニュージーランド戦でも脳震盪で退場しており、選手の健康と安全の確保が再度議論されることとなった。

 

 ノースのウェールズ代表のチームメートで自ら医師免許を持つジェイミー・ロバーツは、チームのメディカルスタッフに対する信頼を強調した上で、「ここ10年でレフェリーがビデオ判定を使えるようになった過程を見るといい―トライの有無とか何か起こった時とか―、でもメディカルに関してはそうじゃなかった」と、脳震盪などの怪我の場合にもビデオでのチェックをするよう提案。ランカスターも、「脳震盪の判断のためにビデオが見られるようになれば大違いだろう。わたし個人の見解だけど、トゥイッケナムではそれが可能なようにするつもりだよ」と、急ぎ次のホームゲームで対応できるよう手配する意思を見せた。

 

 イングランドラグビー協会とプレミアシップが2002年から作成している選手の試合及び練習での負傷、事故に関するレポートによると、イングランドのプロレベルでは、怪我全体の数値は横ばい状態であるにも関わらず、2011−12シーズンには1000時間で3,9件だった脳震盪が、2013−14シーズンには同じ1000時間で10,5件とほぼ3倍に増加。これは、数字の大小はあれ、イングランドのみならず世界中で見られる傾向である。近年、代表レベルだけでも、ニュージーランド出身の元イングランド代表センターのションテイン・ヘイプやスコットランド代表フルバックロリー・ラモントらが脳震盪の影響で引退を余儀なくされ、現在もその後遺症に悩まされていることを明かしている。女子ラグビーでも、フランス代表キャプテンだったスクラムハーフのマリー・アリス・ヤエが「KOの連続」でドクターストップを受け、母国でのワールドカップを数ヶ月後に控えながら昨年引退を余儀なくされている。

 

 脳震盪の増加の一番の理由は、一見矛盾するようにも感じられるが、ラグビーのプロ化によってもたらされた選手の身体能力の向上と肉体強化及び、それに伴うゲームの変化。レベルアップと怪我防止のために、以前よりも速く、重く、強くなった選手の身体は、立派な武器。元アイルランド代表フルバックで、IRBの医療部門の最高責任者を務めるも、2012年にIRBが「脳震盪は5分のプロトコル」を導入したのに反対し辞任した医師のバリー・オドリスコルは(昨年引退したアイルランドの英雄ブライアン・オドリスコルの従伯父。ちなみに、ブライアンのパパ、フランクも元代表で医者。バリーの弟のジョンも同様。「代表兼ドクター」―アマチュアという時代を考えれば「ドクター兼代表」か―というスーパーファミリー)、「彼らは新しいゲームをしている。そしてこの全く異なったゲームの実験台になっている。私がプレーしていた頃は、みんな今の半分の体重で、ギャップをついて抜こうとしていたから、タックルは外に広げた腕でなされていた。現在は、体重のある選手はヒットするためにわざと相手選手にまっすぐ突っ込んでいって、ギャップができるまでそれを続ける。私たちはまだ脳については少ししか知らない。学ぶ事が山ほどあるのに、現状では選手は実験台にされている」と警鐘を鳴らし、「5分から10分に延ばしたところで何の意味もない。体裁を繕っているだけだ。このレベルで今やらなければいけない事は、もし脳震盪の疑いがある場合は、すぐにゲームから退場させて休ませる事だ」と現在のシステムを真っ向から批判。

 

 現在、はっきりと脳震盪の症状が見受けられた場合には、1度目の場合は最低3週間のドクターストップがかけられ、医師の許可が出るまでは戻って来られないことになっており、アイルランド代表のスタンドオフジョナサン・セクストンがイタリア戦に欠場したのはこれだったが、試合中のプロトコルがすべて正しく行われているかについては、疑問が残るところ。昨年5月には、トップ14の試合でトゥールーズが、頭から血を流し完全にKO状態だったフロリアン・フリッツを試合に戻したことが国境を越えて物議を醸し出し(https://www.youtube.com/watch?v=LrWDOZmhqmg)、IRBが調査を要求、フランスプロリーグの調査で「プロトコルは正しく行われなかった」と結論づけられたものの、トゥールーズは何の罰則も受けずに終わっている。

 

 また、近年多くのチームで採用されているブリッツディフェンスも要因の一つに挙げられている。時間とスペースを与えないよう可能な限りのスピードでディフェンスラインを押し上げる上、アタック側のプレーヤーにとっては、ボールとは逆のアウトサイドからタックラーがくるので視野に入りにくく、「ばっくり」となることも多い。

 

 それでも、ラグビーがラグビーであり続けるためには、選手に体重制限を設けることや、「半身ずらしてあたらなければならない」や「ビッグヒット禁止」なんてルール改正は、当然不可能。また、 実生活で青信号を渡っていても事故に遭う可能性はあるわけで、コンタクトスポーツであるラグビーをプレーする限り、今回のノースの件を見てもそうだが、どんなに鍛えていても、どんなに正しい身体の使い方をしていても、避けられない事故は起こる。やるべきことは、その事故が起きる確率をできる限り減らす努力をした上で、それでも起こりうるという前提で、起きてしまった時に最善の対応ができるように準備をすることなのだろうが、 脳震盪そのものの研究がまだ道半ばということもあり、現在のラグビー界では脳震盪とその後遺症についての認識がまだ甘い(例えば、すべてのレベルでのヘッドギアの着用義務化など、有効で簡単にできそうなものなのだが、僕自身ラグビーをプレーしていた経験からすれば、健康などとはほど遠い、ある意味非常にばからしい理由や感情論で、反対する選手や関係者がいることは容易に想像できる)。

 

 世界での更なるラグビーの普及を目指す上で、選手の安全を最重要事項として掲げているワールドラグビー。今回の件を受けて、脳震盪のガイドラインに関してワールドカップまでに新たな指針を打ち出すことをすでに表明している。ラグビーをプレーする選手たちは誰もが、危険を承知で、それぞれ個人差こそあれ、ある種の覚悟を持って毎試合を戦っている。その崇高な思いに見合う環境を、ワールドラグビーは急ぎ整える必要がある。

 

2015/02/04

 売られた喧嘩は買う。

 

 それが、貧しいアルジェリア移民の子としてトゥーロンの下町で育ち、フランスで3番目の漫画出版社ソレイユを造り上げた、トゥーロン会長ムラッド・ブジェラルの流儀(先日のシャルリー・エブドの襲撃で殺された漫画家シャルブとティヌスの元編集者でもあり、殺された風刺画家たちは20年来の友人だった)。テレビの生討論で、外国人排斥を掲げる極右の国粋主義政党国民戦線(そんな政党がお国の第3政党というところに今この国が抱える問題がある)の人種差別主義者(外国人だけでなく、フランス国籍でもイロの違う移民なら同様に嫌いだ)の党首マリン・ルペンに「呆れるほど下品な成金」「甚だ怪しいキャリアの左派気取りの百万長者」と中傷されれば、臆することなく名誉毀損で裁判を吹っ掛ける。そんなブジェラルが、歴代最高のスプリングボックとも言われる元南アフリカ代表キャプテンジョン・スミットからの公開挑戦状を受けないわけがない。

 

 2シーズン前のハイネケンカップ獲得後から、スーパーラグビーの優勝チームとハイネケンカップの優勝チームでの、『南半球最強クラブ対北半球最強クラブの世界最強クラブ決定戦』の開催を提案し、実際開催に向けて動いていたブジェラル。ラグビー界の課題として未だ残る両半球の日程のズレなどもあり、なかなか実現できずにいたのだが、ハイネケンカップ2連覇にトップ14優勝という2冠を達成した後の今シーズンは、スーパーラグビーで優勝したワラタスが試合の開催に前向きな姿勢を示し、開催が現実味を帯びていた。

 

 そんな11月、横槍を入れたのがナタール・シャークス。一昨年現役を引退し、現在はクラブで役員を務める元南アフリカ代表キャプテンで、111キャップを誇るジョン・スミットが、「ハイネケンカップを勝つのはスーパーラグビーでタイトルを取るのより簡単さ。トゥーロン、2014年の南アフリカカンファレンスチャンピオンと1試合やるってのはどうだ?」とツイッターで挑発。ワラタスとの調整がなかなか進んでいなかったこともあり、当然ブジェラルはすぐさま反応。「この発言はいささか場違いに思えるな。個人的には、『ジョーズ』1、2、3を見たけど、怖くなかった。だからナタール・シャークスが俺を怖がらせるってことはない。ベルナール・ラポルト(監督)にも話したら、『もし彼らがチャンピオンとやりたいのなら、どこでも、いつでも好きなところで好きなときに』って言ったよ。もし彼らが本当に2冠が簡単だと思うなら、チームを送ってくればいい、俺たちはうちのを送るよ。どこでも、いつでも、彼らの好きなように…」と話し、クラブのオフィシャルサイトで、上記の写真と共に「俺たちは、2月5日、ラグビーするためにお前たちを待ってるよ…」と挑戦を受けることを正式に発表。今回の『ラグビー・マスターズ』開催となった。

 

 実際のところは、ワールドラグビーの管轄外の試合であり、公式な位置づけは単なる練習試合でしかない。その上、北半球と南半球が異なるカレンダーで動いている現状では、ただでさえ試合過多が叫ばれる状況で日程調整が難しく、試合が行われるのはシックスネイションズ開幕前日の木曜日。当然トゥーロン側はウェールズ代表リー・ハーフペニー、イタリア代表マルティン・カストロジョヴァンニ、フランス代表のアレクサンドル・メニーニ、ギレム・ギラド、マチュー・バスタロ、ロマン・タオフィフェヌニュアら各国代表選手が不在な上、シーズン真っ只中ということでフォワードコーチのジャック・デルマスも認めるように選手には疲労が溜まっており、 バッキース・ボタ、セバスチアン・ティルズボルド、マット・ギトー、フレデリック・ミシャラク、マキシム・メルモーズら多くの主力が怪我で不在。

 

 一方のシャークスは、スーパーラグビーのシーズン開幕を1週間後に控え、シーズン前のトレーニングが終わったばかりで、チームの連携を確かめている状況。「勝った方が自分たちは世界一だとは言えない。IRBの大会でもないし。それにもし自分たちが勝ったとしても、トゥーロンがベストメンバーでないのは知っている。怪我人も多いし、代表でいない選手もいる」とビスマルク・デュプレシが語るように、世界最強クラブ決定戦と呼ぶにはちと早い。それでもテンダイ・ムタワリラは「トゥーロンには元スプリングボクスがたくさんいるから、南アフリカでも多くの人がこの試合を観る。それに、シーズン前のトレーニングを終えたばかりの俺たちにとっては、とても重要なゲームになる。来週ホームにチーターズを迎えるから、いい試合をしないといけない」と軽く捉える様子はない。

 

 今回はワラタスとの試合は叶わず、また日程調整や選手とクラブのモチベーションの問題など、改善すべき点は幾つもあるが、欧州チャンピオンズカップの王者とスーパーラグビーの優勝チームという夢のマッチメイクが真剣勝負で見られるのなら、ファンにとっては垂涎もの。わざわざメディアなどでも「第1回」を強調しているところをみると、来シーズン以降も続けたいというブジェラルの意思が垣間見える。来季もトゥーロンが出場するためには今年から名称変更した欧州チャンピオンズカップの初代王者となって欧州カップ3連覇を達成することが条件になるが、そうならないにしてもこのイベントがいつか世界のラグビーカレンダーに加えられるほどになって本人の名前が残ることになれば、目立ちたがり屋のブジェラルのこと、きっと本望だろう。

 

 アンチブジェラルやアンチトゥーロンのファンの間では、トゥーロンの南半球出身の外国人選手の多さを皮肉って、「南半球のクラブ対南半球のクラブ」などと呼ぶ声もあるが、とにかく開催にこぎつけただけでも1回目の価値はある。とりあえず今年は、シックスネイションズのアペリティフとして、肩に力を入れずに楽しみたい。

 

2014/10/02

 どこの国でもトップスポーツはその社会を映し出す鏡。今夏のサッカーブラジルワールドカップでは、多くの移民2世3世を擁したドイツが見事に優勝を飾り、1998年のフランス同様、ナショナルチームは他民族国家の象徴として国民から絶大な人気を得た。

 

 ワールドカップのほとぼりも冷めた8月、ブラジルから大西洋を挟んだ南アフリカで、ノーベル平和賞受賞者のデズモンド・ムピロ・ツツが南アフリカラグビー界に一石を投じる投稿を日刊紙に寄せた。「黒人選手が代表チームの少数に留まっていて、その才能を証明するチャンスも与えられず成功できないでいるのを見るのは非常に心が痛む」と、アパルトヘイト廃止以来20年に渡って議論の的になっているスプリングボクスでの黒人選手の少なさについて言及し、黒人になかなか門戸を開こうとしないラグビー界の取り組みのスピードを「亀の歩み」と批判。

 

 スポーツ省からも同様の警告をすでに受けていた南アフリカラグビー協会は9月に入ってから、2019年までにスプリングボクス及び各クラブの白人選手と非白人選手の割合を半々にするという計画を発表(「非白人」選手という微妙な言い方になるのは、純粋なブラックアフリカンと混血選手との間にも境界線を引くことになるため)。南アフリカラグビー協会が定める2019年のチーム編成は、クラブチームにおいても代表においても、30%がブラックアフリカン、20%が混血選手、残りの50%が白人という比率になることを求めている。全人口のうち80パーセントをブラックアフリカンが占め、白人と混血が9%ずつを分け合うという南アフリカ共和国だが、現在開催中のラグビーチャンピオンシップ期間中、第4節までのスプリングボクス内での「非白人率」は12%のみ。純粋なブラックアフリカンに限ってはジンバブエ生まれのテンダイ・ムタワリラとトレヴァー・ニャカネの2人のみで、ブライアン・ハバナ、JP・ピーターセン、コーナル・ヘンドリックスらは混血選手である。

 

 2019年までに順次非白人選手の割合を高めていくという計画だが、すでに2015年シーズンに関しては、「罰則は課されない」としつつも、ベンチ入り23人のうち7人、スターティングメンバーのうち5人を非白人選手とするべきという数値目標が発表されており、代表ヘッドコーチであるハイネケ・メイヤーも、ワールドカップの選手選考において7人の非白人選手を「選ばなければいけない」ということになる。第5節となった先週末のオーストラリア戦では、昨シーズン一気に頭角を現したとはいえスーパーラグビーで5回しか先発経験のないテボホ・モホジェが、経験に勝るスカルク・バーガーを差し置いてスターティングラインナップに名を連ね、メディアは早速「色」のせいでバーガーが先発を外れたと新規定の影響を指摘。ちなみにこの規定、コーチや監督についても適用され、2019年にはそれぞれ50%、40%を非白人とし、育成機関においては選手の80%を非白人とするということを定めている。

 

 アパルトヘイト時代には非白人選手は代表チームでプレーする資格を持たず、「スプリングボクス」というニックネーム自体、白人のみの代表チームを示す白人支配階級のアフリカーナーの言葉であり、アパルトヘイト廃止時にはこの愛称自体をなくすべきだという議論まであったほど。今でもラグビーは主に富裕層の白人がプレーするスポーツというのは変わらず、非白人の貧困層にはプレーする環境が整っておらずもっぱらサッカーに向かう傾向があり、サッカー代表チームのバファナバファナとボクスの顔ぶれを見比べればその差は一目瞭然。南アフリカラグビーの現状は、そのまま階級格差を示したものであり、目標達成には貧困層が若年代からラグビーに触れ合える環境を整えることが重要となり、協会のみならず政府と手を取り合っての社会全体の改革が必要となる。

 

 新規約が非白人系への門戸を開く手助けになるのは確かだが、いかに黒人の社会進出が白人に比べていまだに遥かに難しい南アフリカといえども、アファーマティブアクションをスポーツの世界に持ち込むことが相応しいのか。すでにアフリカーナーの権利の保護を目指す団体アフリフォーラムは、新規約に対して裁判所に上訴、国際スポーツ裁判所への提訴も視野に入れている。「私たちのラグビーを弱体化させることになる。アメリカを見て欲しい。バスケットボールの代表チームに、白人枠なんてないだろう。肌の色に関わらず、すべての選手にとって不公平な規約だ」と、アフリフォーラム会長のカリー・クリールは述べているが、規約がこのまま実行され続ければ、プレー機会を奪われる形になる白人選手は他国での代表入りも視野に入れ、今以上にますます若い時期からヨーロッパに流出することになるのは確か。そもそも、実力で勝ち取ったポジションでなければ、選手たち自身のプロ意識が許さないはず。

 

 変化を目に見える形で示し、非白人系の子供たちに夢を与えるためにも今回の変革は有効だが、ラグビーこそあらゆる壁を越えて純粋な実力主義であるべき。モホジェの件に関してキャプテンを務めるジャン・デヴィリアスは、「何人かは色だけで選ばれたなんて、いくつかのメディアが侮辱するのを見たけど、彼らは実力で選ばれた。こんな記事を読むのはこれが最後であって欲しい」と、メディアに対して不快感を示したが、現状では実際にこの5年計画が完遂されるかどうかには、南アフリカ内外を問わずいまだ懐疑的な見方も多い。

 

 ツツは言う。「国として、私たちの幸福のために—その比率やアファーマティブアクションによらず、またショーウィンドーとしての役目でもなく、実力によって選ばれた—私たちの象徴である虹のすべての色を体現するスプリングボクスが、南アフリカには相応しい」。規定の有無に関わらず、レインボーネーションの名の通り肌の色に囚われないチームが出来た時、最強のスプリングボクスが誕生する。

2014/08/06

 「もしクリス・マソエやケイシー・ラウララといった選手が7人制ラグビーでサモアのために戦うことを選んで、その後で同じジャージで15人制のワールドカップに出るのであれば、彼らは正式にその資格を持つことになる」。女子ラグビーワールドカップの開催に合わせてパリを訪れていた国際ラグビーボードの会長であるブレット・ゴスパーが、数週間前から話題となっていた代表選出条件の変更に関してそう明言した。

 

 マソエもラウララもサモア生まれの元オールブラック。最後に黒衣のジャージをまとってからもう何年も経つが、2人ともいまだにヨーロッパのトップクラブでレギュラーを張るバリバリの現役プレーヤー。今回のルール変更は、一度ある国(実際には「協会」という言葉を使った方が正しい)のフル代表でプレーした選手は、二度と別の国の代表としてプレーすることはできないとした現行のルールを緩和するものとなる。

 

 条件は当該国のパスポートを有していて、前代表国での最後のテストマッチから18ヶ月以上が経っていること。その上で新しい代表国の選手として7人制の国際大会かオリンピックの予選でプレーすれば、15人制においても同代表でのプレーが認められるというもの。一定の国に3年以上居住すれば国籍の有無に関係なくその国の代表としてのプレー資格を得られるというラグビー特有の3年条項のために、以前は時期を分けて2つの異なった国の代表としてプレーする選手も多く、ジャパンにおいても元オールブラックスの選手が日本代表としてワールドカップに出たりして物議を醸し出したこともあった。そのような事情もあり、IRBは代表ジャージの重みを守るために「1カ国規定」を策定したわけだが、今回の決定はそれを大きく変えるビッグバン的な変化となる。

 

 特に以前から、優秀なタレントを確保したいニュージーランドとオーストラリアの両ラグビー協会に若いうちから囲い込まれた、サモア、フィジー、トンガといったアイランダーズの選手が、夢であったオールブラックスやワラビーズでのデビューを飾った後、結局数試合しかプレーしないまま残りのキャリアを自国代表としてプレーする機会を奪われてしまうことに関して 疑問の声があり、今回の変更はそういった選手たちへの救済措置という見方も当然できるが、実際にはIRBが進める世界中での更なるラグビー普及のための商業的戦略と見た方がしっくりくる。

 

 一番重要な点は、まず7人制の公式大会においてプレーしなければいけないということ。これは、リオデジャネイロオリンピックでの採用も決まり、現在ラグビーが盛んでない地域でのラグビー普及の手段としてIRBが力を入れている7人制ラグビーにビッグネームを呼び込むのが狙いなのは明らか。ただの救済措置なら7人制でのプレーを義務づける必要はない。つまり15人制の「母国」のジャージを餌に、7人制ラグビーの宣伝を選手に求めているわけだ。また、国籍条項もキーポイント。最初の代表国に関しては今まで同様3年条項のみが適用されるが、2つ目の代表国に関しては国籍が必要となる。これは、「国や地域の代表」としてプレーすることに意義を見つける国籍主義のオリンピック精神に添ったもので、7人制ラグビーのオリンピック定着を望むIRBの国際オリンピック委員会に対するアピールである。

 

 実際の二重代表資格獲得に関しては、IRBがそれぞれの選手に対して10月までに個々に判断を下すとしているが、それでも、いまだにワールドカップでプレーすることを夢見る「元代表」選手にとっては嬉しいニュース。所属クラブとの兼ね合いもある上、2015年ワールドカップまでに残された時間も少なくおいそれとはいかないことを理解しつつも、 日本でもプレーした元オールブラックのアンソニー・ツイタヴァキは、同じトンガ出身のシタレキ・ティマニやリフェイミ・マフィらとその可能性を話し合っていると言い、ワールドカップへの思いを語る。「個人的にはもっと早くこうなってくれれば良かったと思うよ。オレはニュージーランドで生まれて、オールブラックになる夢があった。その夢は叶えたけど、残念ながらもう遥か昔のことだ。ワールドカップに出場して世界のトップと戦うという夢が、今叶おうとしている。家族や先祖の名誉にもなるだろうし、おれたちが持っている経験を伝えて祖国がさらに成長するのを助けることも出来るはず。ラグビーがオレたちに与えてくれたものを少しでも返せればと思うよ」。

 

 日本でも大活躍のジョージ・スミスやセールのサム・トゥイトゥポもトンガ代表としてプレーすることが可能になり、ジョー・ロコソコとシチベニ・シビバツをフィジーのジャージで見られるかもしれない。来年のワールドカップでサモアと一緒のプールに入った日本にとっても脅威となりかねないルール変更でも、長い目で見ればパシフィックネイションズの国々のレベルが上がるのはジャパンにとっても有益なはず。そしてなにより、選手にとって「代表ジャージ」と「ワールドカップ」は、いつだって最高の響きを持つ。

2014/08/01

 8月1日から17日まで、7回目となるラグビーの女子ワールドカップが、フランス、パリで開催される。出場国は開催国となるフランスに加え、イングランド、カナダ、スペイン、サモア、アメリカ、アイルランド、カザフスタン、ニュージーランド、南アフリカ、オーストラリア、ウェールズの12カ国。他の女子スポーツの人気もあるが、男子ラグビーの人気に比べるとずっと露出の少ないフランスの女子ラグビー。選手や関係者は今回のワールドカップを、フランス人、そしてフランスラグビー界そのものに蔓延るラグビーは男のものという「マッチョ」な偏見を打ち破り、女子ラグビーの人気拡大に繋げるべく意気込んでいる。

 

 今年のシックスネイションズではグランドスラムを達成したフランス女子代表チーム。イングランド戦では9000人を超える観客を集め、キャプテンであるガエル・ミニョが言うように「自分たちが結果を出せば、もっと注目してもらえる」ことははっきり自覚している。今大会、予選リーグは残念ながら1000人規模のスタンドしかない、パリ近郊マルクシスの国立ラグビーセンターで行われるが、初日のチケットは完売。準決勝以降はトップ14の名門スタッド・フランセのホームグラウンドである20000人収容のパリのジャン・ブワンスタジアムでの試合となり、当然「ブルー」の選手たちも大観衆の前でのプレーを熱望しモチベーションは高い。

 

 テレビ放送に関しても、民放のフランス4がフランス代表の試合はすべて生中継。他の試合に関しても、ほとんどの試合をユーロスポーツが生でカバー。女子ラグビーの普及にやっと腰を入れ始めたフランスラグビー協会の意欲も垣間見える。現在のフランスにおける女子ラグビーの競技人口は12785人。ここ4年間で30パーセントの増加と、いまだに代表選手でもアマチュアの域を出ない環境の中で大きな成長を見せており、このワールドカップで好結果を残しメディアの注目を得ることで、更なる起爆剤としたいところ。

 

  「トロフィーを持ち上げることを夢見ているけど、まずは1戦1戦を大事に、1次リーグを突破すること」とトリコロールの目標をミニョが代弁する。 優勝候補は、現在大会4連覇中の「ブラック・ファーンズ」ことニュージーランド代表。筋肉一本槍の接点のバトルよりも洗練されたパスとランによる展開ラグビーを好み、男子よりも遥かにフレンチフレアーを見せるフランス女子代表が、どこまでイングランド、ニュージーランドに迫れるかが今大会の成功の鍵を握る。今年のシックスネイションズまで代表キャプテンを務め、度重なる脳しんとうによるドクターストップを受けワールドカップを前に引退を余儀なくされた美人スクラムハーフマリー=アリス・ヤエが語る。「私たちは、何もないところから始めた。このワールドカップで、得るものはあっても失うものは何もない」。不振を極めメディアとファンの集中砲火を浴び続けている男子代表に代わり、「女らしい」ラグビーでファンの心を掴めるか。

2014/03/26

 1995年、母国でウェブ・エリストロフィーを掲げたスプリングボクスは、アパルトヘイト廃止間もない南アフリカの融和の象徴となった。あれから20年余り、「虹の国」のヒーローたちを今、ドーピングという名の暗い雲が覆っている。

 

 3月23日に、フランスの公共放送であるフランス2の「Stade2」という毎週日曜の夕方に放送されているスポーツ番組のなかで、あるルポルタージュが放送された。90年代に南アフリカ代表に選ばれていた元選手の間で、運動ニューロン病の症状を示す割合が通常の場合に比べて極めて高いこととドーピングの関連性を検証したものである。

 

 取材班が南アフリカに渡ったのは今年1月。ワールドカップ開催当時の大統領であり、マディバと呼ばれ国民から深く慕われたネルソン・マンデラが亡くなったのが昨年12月5日。このタイミングは、当然偶然ではないだろう。いかにルポの制作者であるニコラ・ジェイが「タブーとされている題材の扉を開きたい」と言っても、マンデラの生前にはやりにくかった取材だったのは否めない。取材班は、優勝時のスクラム・ハーフ、ユースト・ファン・デル・ヴェストハイゼン(43歳、代表歴1993—2003、89キャップ)をはじめ、アンドレ・ヴェンター(43歳、1996−2001、66キャップ)、ティヌス・リニー(44歳、1994年まで代表)らに、直接インタビューを試みている。ヴェンダーは2006年以来、100万人に1人の割合といわれる横断性脊髄炎を患い足の自由を失い車椅子生活を余儀なくされ、ヴェストハイゼンとリニーは、ルー・ゲーリック病の名で知られる筋萎縮性側索硬化症に冒されている。こちらも10万人当り4人前後の発症率という稀な病気である。また2010年には、南アフリカ史上最高のフランカーといわれ、95年ワールドカップの準決勝のフランス戦で決勝トライを決めたルーベン・クルーガーが、脳腫瘍のため39歳の若さでこの世を去っている。

 

 「元気だよ。ありがとう」と、車椅子から一言一言絞り出すように答えるヴェストハイゼンの言葉を聞き取るのは容易ではない。当時世界最高のスクラムハーフと称された男は、「一番辛いのは、子供たちをこの腕に抱くことさえ出来ないこと。でもそれ以外は幸せだよ」と打ち明けるが、病の原因について訊かれると、ただ「分からない。誰にも分からない」とだけ答えた。同様に車椅子生活のリニーの病状はヴェストハイゼンよりも進んでおり、もはやしゃべることも出来ないが、ドーピングがあったかの質問にははっきりと首を振った。代わりに答える妻のディアナは、「呪いだとは思わないけど、もし私の意見が聞きたいのならば、病気に関してはラグビーと関係があると思う」と言う。自身の息子もスプリングボクスを目指す中学生であるヴェンターは、いつか病状が回復する日を願って、毎日足のリハビリを続けている。病気の特別な理由は思いつかないと言い、ドーピングの可能性については「禁止薬物を提供されたことはない。煙草も吸わないし、一番身体に悪かったものと言えば、ビールくらいだよ」と否定する。

 

 なぜこの時期の元南アフリカ代表選手の間にだけこういった病が高い確率で見られるのか。専門家が指摘する原因は以下の3つ。激しい接触の繰り返しによる後遺症。グラウンドに撒かれた殺虫剤。そしてドーピング。「インタビューした多くの人間が、南アフリカにはドーピングの文化は存在しないと言うのに、カメラを切ったとたん、『ここでは若い時から始まってるよ』と言った類いのことをいうのを良く聞いた」とニコラ・ジェイは証言する。実際、昨年南アフリカでドーピング違反を犯した10人のうち4人は未成年だった。

 

 90年代始め、ラグビーは未だプロ化されておらず、反ドーピングのシステムも初期段階であり、ましてアパルトヘイト直後の南アフリカの政治状況を考えれば、スプリングボクスがワールドカップで演じる役目は信じられないほど大きく、低迷期にあった南アフリカ代表がドーピングをしない方が不自然とまで考えられる。当時のチームキャプテンであり、マンデラから直接ワールドカップを受け取ったフランソワ・ピナールは、毎試合前にチームドクターから渡され必ず摂取していたという錠剤について簡潔に証言する。「私たちはアマチュアだった。一生懸命練習していたよ。規則に反するようなことは1つもなかった。ただのビタミン剤だったよ。でもその後禁止薬物として指定されたので、私たちはすべてやめた」。「フランソワがいう錠剤っていうのは、ただのビタミンB12とか、そんなもんさ。おれは一度もドーピングに引っ掛かったことはない。だからそれ以外の何物でもない。おれたちはリミットを超えることはなかった。ビタミンB12の注射や、怪我の治療のためにも色々やったが、しょっちゅうコントロールを受けていたのに、誰も一度も陽性反応が出ることはなかった。」とコーバス・ヴィーゼ(49歳、1993−96、18キャップ)はピナールの言葉に続けた。

 

 ただこのビタミンB12、EPO(エリスロポエチン。赤血球の増加作用を持ち、持久力を高める。最近ではツール・ド・フランス7連覇のアーム・ストロングがこれを使用していたことでも有名)によるドーピングを行う時に、その効果を高めるために利用されることが近年の研究の結果分かっており、1995年段階ではEPOの検出は不可能であったことと、当時の異常なほどのビタミンB12の使用頻度、そして病気の発生率を鑑みると、ドーピングの疑惑を投げかけざるを得ない。「科学的見地から言えば、病気とドーピングの間には関係はない。ただ、私たちはこの問題を提起せざるを得なかったし、スプリングボクスによるEPOの仕様の可能性に関しても同様だ。現在新しいEPOの検出方法が研究されているが、はっきりしているのは、EPOを摂る度に効果を高めるために一緒に摂取されるのはいつもビタミンB12だということ。以上のことからだけで彼らがEPOを使用していたということにはならないが、注目すべき事実ではある」とニコラ・ジェイは説明する。

 

 フランス2でラグビー解説を務め、この日番組のゲストとして招かれていた元フランス代表のスクラムハーフであるファビアン・ガルティエが、6ヶ月ほどの自身の南アフリカでの体験を最近上梓した自伝の中で語っている。「朝起きるとすぐ、ドクターが『ビタミン、ビタミン!!』と叫びながらドアを叩きにくる。部屋に入ってくるなり、ベッドで俯せになっているスミットの尻に注射をし、同じものをおれにも勧める。おれは断る」。それが当時の日常だったと。ただ、同じ時代を生きたラガーマンとして、彼らを責める気になれないガルティエはこう語る。「忘れちゃいけないのは、当時彼らはアマチュアだったこと。お金をもらってラグビーをしていたわけじゃない。ただ国のために、名誉のためだけに、そのためだけにスプリングボクスでプレーしていた」。また、南アフリカでの医者の言うことは絶対であるという風潮を指して「『ビタミン剤が欲しいか。飲めばもっと調子よくなるぞ』と医師から言われて、それを使用したからといって、それはドーピングという言葉とは違う。医師は、治療し、必要なものを与えるためにいるのであって、選手は与えられた物が何であったかはまったく知らなかった。おれにとっては、これはドーピングとは言えない。それよりも投毒と言った方がいい。重要なのは、医師本人が、自身が選手に与えていた物が何であったかを知っていたかどうかだ」。ニコラ・ジェイは、デリケートなテーマにも関わらず、関係者はすべて取材を受け入れてくれたと証言している。ただ1人、1995年当時のスプリングボクスのチームドクターを除いては。

 

 1995年6月24日。ピナールが「初めて人種、宗教を問わず、すべての人々が一緒に喜び合い、踊り合った」と表現する、ワールドカップ優勝を決めたあの日。今ある「虹の国」は、スプリングボクスの緑のジャージを着たネルソン・マンデラが、フランソワ・ピナールにワールドカップを手渡すあのシーンがなければ存在し得なかっただろう。一方で英雄たちは国のために代償を支払う。ヴェストハイゼンもリニーも、余命は持って2、3年。「死ぬのは怖くない」と2人は言葉を同じくするが、リニーの妻は「彼ではなくて、私が怖い」と心情を吐露する。怖いのは死んでいく者だけではない。ドーピングとは無関係を装っているラグビー界。若年層からの教育も含めて、今一度そのあり方を見直す時が来ているのかもしれない。

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