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2015/04/17

 イングランドで今シーズンが始まる前から一番の話題になっていたのが、ラグビーリーグのスーパースターサム・バージェスの、母国開催のワールドカップ出場を目指したラグビーユニオン転向とバースへの移籍。

 

 「イギリスのソニー・ビル」

 

 2006年、まだプロデビュー前の17歳のバージェスをそう形容したのは、ラグビーリーグでニュージーランド代表、ユニオンではイングランド代表としてプレーした、当時同じチームにいた7つ年上のションテイン・ハープ。父親も元ラグビーリーグプレーヤー、3人の兄弟も現在プロで活躍中と、楕円球のDNAをもって生まれてきたバージェス。その年、ブラッドフォードでスーパーリーグ(イギリスとフランスのクラブで構成される13人制ラグビーのプロリーグ)デビューを飾ると、期待に違わぬ活躍で一気にラグビーリーグのトッププレーヤーに。

 

 2010年には、引く手数多の中、俳優ラッセル・クロウが共同オーナーを務める、名門ながら長い低迷期を抜け出せずにいたナショナルラグビーリーグ(オーストラリアとニュージーランドの13人制ラグビーのプロリーグ)のサウスシドニー・ラビッツに4年契約で移籍。バージェスに惚れ込んでいたクロウは、イングランドで撮影中だった『ロビンフッド』のセットにバージェスと彼の母を招待し、直接口説き落とした。

 

 196cm、116kgの強靭な肉体を活かしたコンタクトプレーに、バックス並みのスピード、ハンドリングテクニックを併せ持ったバージェスは世界最高峰のリーグでもあっという間にスーパースターの座を獲得し、バージェス加入2年目からはラビッツも毎年プレーオフに進出。2013年8月には、ルーク、サム、トム、ジョージのバージェス4兄弟が同じチームで同時に出場するという快挙も成し遂げている。

 

 契約最終年となった2014年シーズンにはチームは決勝まで進出。サウスシドニーでのバージェスのラストゲームとなった決勝では、開始1分の最初のタックルで頬骨骨折というアクシデントに見舞われるも、試合終了まで気迫のプレー。43年ぶりの悲願の優勝に大きく貢献し、決勝の最優秀選手に与えられるクライブ・チャーチル・メダルを獲得。シドニーのファンは劇的なエンディングに熱狂し、バージェスはファンの残留を望む声を背に、母国イギリスに帰っていった。

 

 昨年2月のバージェスのユニオン転向発表以降、ソニー・ビル・ウィリアムス以来の正真正銘のラグビーリーグの超大物のコード変更に、イングランドではメディアもファンも、ここ数年大型センターを探していたイングランド代表がついに答えを見つけたと盛り上がり、慎重な発言で知られ普段は絶対に選手にポジションの確約をすることのない代表監督スチュアート・ランカスターまでが、バージェスがバースでプレーする前から、代表招集は決まっているかような発言をするなど、まさに鳴り物入りの移籍だったのだが、10月にクラブに合流して以来、ここまでは15人制への対応に思った以上に手こずり、周囲が期待したようなプレーを見せられずにいた。

 

「思っていたよりもはるかに難しい。リーグ側から見ると、ユニオンはリーグよりもフィジカルじゃなくて、簡単だという見方が強い。でも、実際にユニオンでプレーするまでは、それがどんなもので、どれだけ激しいかわからない。自分が外から見ていて思っていたよりも、ゲームはずっとタフだよ」

 

 本人もそう認めるように、バース監督マイク・フォードは辛抱してバージェスにプレー時間を与え、シックスネイションズの期間中はイングランド代表の合宿にも招集されイングランドサクソンズでデビューも果たしたが、ファンとメディアを納得させるパフォーマンスには程遠く、大きすぎた期待のせいで一部からは転向失敗の声まで聞こえてきていた矢先、ソニー・ビルがバージェスを擁護。

 

「時間をあげるべきだ。サムはワールドクラスのアスリートで、12番だろうが6番だろうが成功することに疑いはない。ただ、彼にどれだけ時間が必要なのかの問題だ。リーグとユニオンでは、細かい部分に大きな違いがある。個人的には彼はブラインドサイドフランカーに最適だと思うけど、イングランド代表でワールドカップに出ることを考えたら、センターの方がいいかもしれない」

 

 また、同様にリーグからスイッチし大活躍した元イングランド代表フルバックのジェイソン・ロビンソンもそのポテンシャルと人間性を高く評価し、ワールドカップまでまだ時間は残されていると強調。

 

 そんな中でマイク・フォードは先週金曜日のニューカッスル戦でバージェスを6番で先発起用。ソニー・ビル同様、リーグ時代は第2列、3列でプレーしていたバージェスだが、この試合では週末を通じてプレミアシップ最多となる5つのターンオーバーを含む、高いパフォーマンスを攻守に渡って見せ、フォードは「未来が見えた」とコメント。この先も第3列で起用することを示唆した。

 

 シックスネイションズを僅差の2位で終えたイングランド代表では、大会前にセンターに怪我人が続出した影響で急造されたルーサー・バレル、ジョナサン・ジョセフのコンビが今大会ナンバーワンセンター陣と言っていい素晴らしい働きを見せ、ビリー・トェルブトゥリー、カイル・イーストモンド、エリオット・デイリー、怪我からの復帰を目指すマニュ・ツイラギらが控えていて、センターの層はかなり厚い。一方のフォワード第3列はキャプテンのクリス・ロブショー、ベストのパフォーマンスを取り戻したビリー・ヴニポラは決定だが、残りの椅子はまだ未定。大会中先発だったジェームス・ハスケルは似たタイプなので、バージェスがバックローでのプレーに慣れることができればワールドカップまでの逆転も可能なはず。国内では、フランストップ14のトゥーロンでプレーする昨シーズンの欧州最優秀選手ステフォン・アーミテージを求める声が強いが、国内条項を捨ててまで呼ぶなら、ランカスターはバージェスを好むかもしれない。

 

「自分のもっているすべてを出すだけだよ。リーグに戻ることを考えたことはない。学んだことを全て試合で出すことだけを考えている。戻るつもりはまったくない。試練と挑戦が欲しかったんだ。これが今までで一番のチャレンジになると思っているよ」

 

 数ヶ月前、批判の声に対してそう語っていたバージェス。残された時間はあと5ヶ月。テストマッチもワールドカップも、リーグのイングランド代表で経験済みの26歳。それでもユニオンではまだデビューを待つ身。イングランドの秘密兵器は間に合うか。

2015/04/14

 2007年4月、ワスプス戦でジェームス・ハスケルとジョニー・オコナーの目を突いたとして26週間の出場停止。2012年3月、シックスネイションズのアイルランド戦でスティーブン・フェリスを噛んで8週間の出場停止。2012年12月、ハイネケンカップの試合でアルスターのロリー・ベストを殴り2週間の出場停止。2013年5月、プレミアシッププレーオフの決勝でレフェリーのウェイン・バーンズに「クソ詐欺師」と暴言を吐き前半終了を待たずにその場で退場、11週間の出場停止(試合も負けて当然優勝を逃した戦犯に)。2014年12月、レスターのマット・スミスの鼻に肘打ちをお見舞いし3週間の出場停止。

 

 以上が、ノーサンプトンのイングランド代表フッカーディラン・ハートリーの前科。ここまでキャリア通算で50週間の出場停止を受けたことになり、9年間のプロ生活でほぼ1年間分出ていなかったことになるというのはかなりのもの。そしてまだ現役バリバリで、記録は継続中の可能性が大。しかも、昨年末のエルボーに関しては、直後に迫っていたシックスネイションズまで出場停止が響かないようにと、イングランドラグビー協会からプレミアシップに見えない圧力がかかって処分が軽めだった印象は拭えないし。

 

 喧嘩好きというよりも、頭に血が上るとついプッツンしてしまうというタイプで、2007年に最初の出場停止を受けた時には、イングランドのスポーツ精神医学の権威であり精神科医として現在はサッカーのイングランド代表チームのスタッフを務めるスティーブ・ピーターズのサポートを受けたにもかかわらず、どうやら完治しなかったようで(ま、こういうのって、そんな簡単に治れば苦労はしない)、バーンズさんに「Fucking cheat !!」とつい言ってしまったのはともかくとして、パンチやらエルボーやら以外にも、出場停止まではいかないまでもかなり汚いプレーをついやらかしてしまうクセがどうしても治らない。

 

 それでも、ニュージーランド生まれの問題児は、ここまでイングランド代表で66キャップを獲得しプレーヤーとしての資質には疑いの余地はなく、2009年からは強豪ノーサンプトンでキャプテンも任され、昨シーズンには前年のリベンジを果たし、ノーサンプトンを悲願のプレミアシップ初優勝に導いている。昨年12月には、フランストップ14のモンペリエから高額オファーを受けながらも、ノーサンプトンと3年間の契約延長。「どのスポーツにおいても、キャリアをたった一つのクラブで終える選手に大きな敬意の念を抱いている。もしセインツをおれの唯一のプロクラブとして選手生活を終えることができたら、本当に誇りに思う」と男気を見せ、フランクリンズガーデンズのサポーターを小躍りさせた。

 

 となると、やっぱりあとはそのキレ癖を治すだけ。昨年末のエルボー事件の直後には、イングランド代表監督スチュアート・ランカスターから最後通牒を告げられ、本人も「何度もチャンスをもらえるとは思っていない。これがラストチャンスなのはわかっている」と、9月に迫っているイングランド開催のワールドカップに向けて今度こその変わり身を期して、再度精神科医のお世話になることに。

 

 ところがどっこい、1月の出場停止明け2試合目のゲームで、不必要な反則で早速シンビンを頂戴。これで柄にもなく萎縮したのか、シックスネイションズではカードをもらうようなラフプレーも暴言もなく乗り切ったものの、持ち前だったいい意味での激しさも失われ、以前ほど目立たなかった。

 

 気性が悪くて去勢した馬が、競争能力も一緒に失ってしまっては元も子もない。イングランドのフッカーの中では、ハートリーとトム・ヤングスの実力が頭一つ抜けていて、怪我さえなければ二人の代表選出は決定的。ワールドカップまでに、ビョーキを出さずにベストのプレーをする術を学んでくれることを祈るのみである。

2015/04/09

 「こぶ」やら「クアグマイア(アメリカのアニメ『ファミリー・ガイ』に登場するキャラクター。グーグルしてもらえれば、どんな面構えか見ていただけます)」やら、そのエラの張った顎と1メートル93センチ、110キロの厳つい体つきでついたあまりありがたくないあだ名も今は昔。ラシンメトロのウェールズ代表センター、ジェイミー・ロバーツの今の愛称は「ドク」。

 

「チームメイトの間では、しばらく前からおれのニックネームは『ドク』だったんだけど、いつもちょっとペテン師のような気分だった。やっと自分で医者だって言えるようになってよかったよ」

 

 その外見とは裏腹に自らを「理系オタク」と称し、「たとえ両方こなすのが難しくても、二足のわらじを履いて努力するのが好きなんだ」と語るドクター・ロバーツ。普通なら5年のカーディフ大学医学部の過程を、ラグビーのプロ選手としての活動をこなしつつ、8年かけて2013年春に無事終了。その夏に移籍したラシンメトロでは、自身がスタンド観戦だった試合で、頭を切ったチームメイトのアンリ・シャバンシーの傷口を縫合するという、正真正銘の二刀流。元代表で引退後に医者をやっているラグビー選手は何人かいるし、プレイングマネジャーも見たことあるが、選手兼チームドクターというのは初めて見た。

 

 カーディフとウェールズ代表でのプレーを続けつつ、医師免許まで取得するというスーパーマンぶりに加え、気さくでさわやかなナイスガイということでウェールズでは大の人気者。また、本人のツイッターではしばしば両親も登場し、その親孝行ぶりもますますナイスガイ度を高めている。ちなみにどうでもいいが、1歳年上の兄は主にスポーツの試合を専門とするフリーランスのテレビカメラマンで、ミレニアムスタジアムでのウェールズ代表戦では、弟はラインの内側でボールを手に、兄はピッチ際でカメラを手に、異業種で兄弟同じグラウンドで共に「プレー」したりすることも。また、医学部行ってプロラグビー選手やってるだけでも十分忙しいだろうに、大の音楽ファンということでチャンスがあれば各地のコンサートに出没しステップを踏み身体を揺らし、2013年から住むパリでは「おれはまだ若いし独身だから」と都会生活を楽しむ。ガリ勉とはほど遠い、嫉妬したくなるのにそれすらできない、スポーツ万能で成績優秀な学級委員長のような男である。

 

 最近は、ウォーレン・ガトランドのウェールズ代表でも、一昨年に移籍したフランストップ14のラシンメトロでも、チームのスタイルもありそのパワーを活かしてのクラッシャー役としてのイメージがついてしまっているが、代表デビュー時にはウイング、フルバックでプレーしていたように、実は正確な状況判断と緻密なコース取りで抜くこともできるタイプなので、もう少し、以前見られたそういうプレーも見たいと思っているのは僕だけか。

 

 代表では、ここ数年不動の12番。28歳の今までに数えたキャップは69。本人は、「ラグビーはいつ終わりになるかわからない。怪我がつきものだから」と言うが、世界最高のセンターのひとりであり、またまだキャップ数は伸びるはず。ちなみにその後は、「引退したら、しばらく旅して、その後は多分、整形外科医としてウェールズ選手の手術をしているよ。いつまでもウェールズラグビーのために尽くすつもりさ」。

 

 ダン・カーターの獲得でサラリー総額を減らさなければならないラシンメトロの事情もあり、1シーズン契約を残してパリを離れることが決まったロバーツ。ここ数日、元所属先のカーディフに戻るのか、プレミアシップのロンドンのクラブに行くのかと、毎日のように来季の移籍先が話題になっているが、噂によると、ワールドカップの後、オックスフォードかケンブリッジで短期過程を取って、12月10日トゥイッケナムで行われる伝統のヴァーシティーマッチに出ることも狙っているらしい。

 

 学級委員長のわらじは、二足でも足りそうもない。

2015/04/07

 2003年11月22日、初夏のシドニー。イングランドはワールドカップ決勝でホスト国のオーストラリアに相対し、延長後半も終了まで30秒を切ってスコアは17−17。24歳のウィルキンソンの、利き足とは逆の右足から放たれたドロップゴールがポストの間を通り過ぎていくのを歓喜の絶叫と振り上げられる両腕とともに眺めて以来、イングランドサポーターは常に「ウィルコ」の後継者を探してきた。

 

 母国にワールドカップをもたらして以降は度重なる怪我に泣かされ、2009年にフランストップ14のトゥーロンに移籍するまではプレーできない時間の方が多かったウィルキンソン。イングランドはウィルコの引退を待つまでもなく、その影を追い続けるはめになった。同世代には今もプレミアシップの第一線でプレーするチャーリー・ホジソン、アンディ・グッドというとんでもなく上手い(いくつかのスキルだけに限ってみればジョニーよりも上)スタンドオフもいたが、代表ではウィルキンソンのような影響力は見せられず、以降も、神童と騒がれたダニー・シプリアーニ、ウィルキンソンの後輩で親友でもあるトビー・フラッド、最近ではオーウェン・ファレルらがイングランドの10番を背負ったが、最高のジェントルマン「ミスターパーフェクト」の味を知っている辛口のイングランドファンが満たされることは決してなかった。

 

 そのイングランドが、ついにジョニー・ウィルキンソンの後継者を見つけた。

 

 キックを外しても、ハードヒットを浴びても表情一つ変えないポーカーフェイス。完璧なコース取りと緩急のついたランでスーパートライを決めてもにこりともしない。ジョニーだって同じくらいの歳の頃は、もう少し感情を露にしていた。 その名は、ジョージ・フォード。

 

 今シーズンのバースの躍進にスタンドオフとして大きく貢献し、シックスネイションズでは先発としてイングランドを優勝あと一歩のところまで導いた22歳。その視野の広さと確かな観察眼からくる一瞬の状況判断の正確さで、サラセンズのシークエンスラグビーに慣れたオーウェン・ファレルがもたらすことのできなかった閃きと自由をイングランドにもたらし、クラブでチームメイトのジョナサン・ジョセフ、アントニー・ワトソンと一緒に一気にチームを変貌させた。大会直前のファレルの怪我があったものの、スチュアート・ランカスターはその前からフォードを一番手のストンドオフとして使うつもりだったはず。

 

 2008年に15歳でイングランド18歳以下代表に呼ばれると、翌年からは一学年上のファレルをセンターに従えて10番でプレー。後にはキャプテンを任され、2010年にフォード不在の試合で途切れるまで、チームは25連勝、3年間無敗を誇った。フォード自身は2008年の3月から、最年少選手として18歳で出場した2011年のU20ワールドカップ決勝でニュージーランドに敗れるまで、イングランド代表チームでは負け知らず。この年、この大会の活躍もあり、サム・ケイン、ルーク・ホワイトロックをおさえて、イングランド選手として初めてジュニアレベルでの世界最優秀選手に、史上最年少というおまけ付きで選ばれた。クラブチームでは、2009年にイングランド史上最年少の16歳と237日でレスターからプロデビューすると、控えながらも2010年と2013年には同クラブでプレミアシップ優勝を経験。

 

 また父親であり、現在所属するバースの監督でもあるマイク・フォードは13人制ラグビーの元名選手。兄のジョーも同じプレミアシップのセールでプレーする、生まれも育ちも正真正銘のサラブレッド。5歳からラグビーリーグでプレーするも、ユニオンラグビーの指導者に転向した父の後を追って、15人制ラグビーへ。8歳から父がディフェンスコーチを務めていたアイルランド代表を間近で見て育ち、11歳の時にはブリティッシュ・アンド・アイリッシュ・ライオンズのニュージーランド遠征にコーチだった父に連れられて同行。2年後の2007年には、同様に父がコーチングスタッフだったイングランド代表のワールドカップを内側から覗く幸運にも恵まれている。

 

 ワールドカップが2年後に迫っていた2013年、育成年代から代表でともに戦ってきた友人でありライバルでもあるオーウェン・ファレルが先に身につけていたフル代表の薔薇の10番を手に入れるべく、トビー・フラッドの控えという立場をよしとせず、レスターから父が監督を務めるバースへ移籍。出場時間を得ると、カオスセオリーを導入し、シークエンスではなく状況に応じた一瞬の判断を要求するマイク・フォードのトータルラグビーの下でその才能が一気に開花。今やイングランドはおろか、欧州ラグビー界全体から注目を浴びる存在となった。

 

「センスは抜群。でも、ウィルキンソンと同じように態度も良かった。普通なら練習を嫌がる年齢でも、すべてをしっかりやる意思があった。全部上手くいかない日でも、何とかしようと頑張る。それが鍵だよ。それだけの根性がある選手は多くない。」

 

 長年キッキングコーチとしてウィルキンソンを指導し、4年前からフォードのコーチも務めるデイヴ・アルレッドは、成功の理由をそう説明する。その練習量で「マニアック」とまで評されたジョニー同様、フォードも練習の虫で知られ、ファンにとっては、そのラグビーだけに集中する姿勢と完璧主義、ゲームで見せる冷静さと謙虚な性格も『ウィルコ』を思い出させ、いまだヤンチャぶりが時折垣間見えるファレルとは対照をなす。

 

「グラウンドだけでなく、普段の生活でも常に歳以上に大人びた子供だったよ」

 

 そう語る父マイク・フォードの言葉は、「息子として見る前に、一人の選手として見る。いつだってその区別はしてきたよ」と2013年に自らの率いるチームに息子を呼び寄せた時にも語っていた通り、親バカが徹底的に排除された純粋に客観的な観察だろう。

 

 スペースを見つける能力に一瞬の判断力。スキルの面でもパス、ラン、流れの中でのキックは既に一級品。現状での唯一の不満はいまいち安定しないプレースキック。先週末にダブリンで行われたヨーロッパクラブチャンピオンズカップ準々決勝のレンスター戦では、パス、キックだけでなく、自らのスーパーランでも相手守備陣を切り裂き、ワントライワンアシストでチームを引っ張るも、プレースキックを2つ外し、イアン・マディガンが6本すべてのペナルティキックを決めたレンスターに3点届かずに敗れることになった。

 

 母国でのワールドカップ開幕まで残り5ヶ月。12年前にイングランドに初めてウェブエリストロフィーをもたらした10番は、両足を自由自在に操り、大事なところでは必ず決めた。ミスターパーフェクトにはまだ及ばないが、若いフォードはやることはわかっている。怪我がない限り、ランカスターは大会本番でもフォードに10番のジャージを預けるはず。2015年10月31日トゥイッケナム。決勝のゲーム後のグラウンドにフォードの笑顔を見つける時、イングランドは、ウィルコの代わりではない、新しいヒーローを手に入れる。

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Egg Chaser

エッグ・チェイサーとは英語表現で、卵の形をしたボールを追いかける人、つまりラグビーをプレーする輩のこと。日本ではあまり知られることのないヨーロッパのラグビー選手、レフェリー、関係者など、ポジション(選手だろうが、コーチだろうが、レフェリーだろうが、解説者だろうが、「元」何チャラだろうが、選手の奥さんだろうが?)、実力にとらわれることなく紹介すべく、基本的に独断と偏見で気軽に書かれ、お気楽に読まれるコラム。ワールドカップに向けての予習として読んでもらってもいいですし、楽しんでもらえて欧州ラグビーに興味を向ける一端になるのなら、それこそ幸いです。

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