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Parce que Toulon

(パスク・トゥーロン)

 筆者が愛するフランストップ14のトゥーロンについて語る完全に趣味のページ。
 そんなわけで無視してもらって構わないのだけど、チームは現在ハイネケンカップを2連覇中。昨シーズンは22年振りにトップ14を制し、名実共に現在ヨーロッパのナンバーワンチーム。また、2006年に2部に降格したばかりのクラブを引き受けた名物会長のムラッド・ブジェラルは、歯に絹着せぬ発言とその意欲的な(金に糸目をつけないという言い方もある)クラブ戦略でよくも悪くもメディアの注目を集めつつ、トゥーロンという一地方都市のクラブを10年もかからずヨーロッパの最高峰まで押し上げており、今や欧州で最も注目されるクラブの1つとなっている。トゥーロンを見れば、現在のヨーロッパのラグビーシーンが見えてくる、かも。

2014/09/17

 「トゥーロンを愛している。クラブには忠誠を尽くすよ。でも今日戻ってくるのは理性的じゃない」

 

 ジェームズ・オコナーのクイーンズランドレッズ復帰が決まり、穴埋めをする選手を探していたトゥーロン。メディアでは、現在アルゼンチン代表としてラグビーチャンピオンズシップを戦っているフアン・マルティン・エルナンデスとの6ヶ月間の契約が決まったと報じられていたが、クラブからの公式発表はないままだった。

 

 そんな状況で、トゥーロンは13日土曜日のナイトゲームで、ホームのマイヨールで4人のキッカーが合わせて6つのペナルティゴールと1つのコンバージョンを外したのが響いてスタッド・フランセに24−28で敗れ、その上スタンドオフのフレデリック・ミシャラクが脱臼癖の完治のために昨年7月に手術した肩を再度負傷。ミシャラクに替わりスタンドオフに入ったオコナーは、判断ミスを連発し、ゴール正面40mのペナルティゴールも外すなど、スタンドオフとしては準備ができていないことを露呈。プレースキッカーの不在以上に、コンサートマスターを失ってゲームをまったくコントロールできないチームを見て、トゥーロンサポーターの口からは再び「ジョニー」の名前が漏れることになった。

 

 翌朝9時、日曜日にもかかわらず監督のベルナール・ラポルトはビデオミーティングの為に選手を緊急招集。それに先立って、会長のムラッド・ブジェラルはラポルトの立ち会いの下、ウィルキンソンの代理人に電話をし、「お前にかかっている。おれたちにはジョニーが必要だ。説得するのはお前だ」と、2冠を置き土産に6月に引退したクラブのレジェンドの現役復帰を要請。ミーティングの後には、現役時代にウィルキンソンとハーフ団を組んだ現トゥーロンバックスコーチのピエール・ミニョーニが直接ジョニーに電話をかけたのだったが、その電話口での返事が上記の言葉だった。

 

 ハイネケンカップを2連覇し、念願だったトップ14も制し、2冠というこれ以上ない形でラストシーンを飾ったウィルキンソンには、今更シナリオを書き替える理由はない。またエージェントによれば、 スパイクを脱いでからは現役時代に常に苛まされていたプレッシャーからも解放され、リラックスして新しい生活を楽しんでおり、「ジョニーは戻ってこない」。そして一番の理由は、今自分が復帰してプレーするのは、マット・ギトー、ミシャラク、オコナーや、キッカーを務める選手に対してフェアじゃない、そのプライドを傷つけるという思いから。イングランド時代は度重なる怪我で、何度も代表10番失格の烙印を押されたウィルキンソン、押し出される選手の気持ちはわかっている。特に、昨シーズン最終盤ウィルキンソンの存在のためベンチにも入れなかったミシャラクにとっては、今シーズンはワールドカップに行くためにどうしてもクラブでプレーする必要があり、ウィルキンソンが戻ってくればそのチャンスを妨げることになりかねない。ミニョーニに伝えた言葉の真意はそこにある。

 

 ミシャラクの怪我を受けてクラブは日曜の朝にやっとエルナンデスとの契約を正式に発表。ただし、エルナンデスはオコナーの代わりであり、「1月までは来ない」。エージェントとジョニーの言葉を受けて翌月曜日にはブジェラルも、「ウィルコの復帰?無理だと思うよ、とりあえず今のところは。ウィルキンソンが戻ってくる可能性は、ヴァンサン・モスカート(現在ラジオのコメンテーターを務める元仏代表。49歳)がグラウンドに戻ってくる可能性と同じくらいのもんだよ。冗談だけど。でも、ウィルキンソンが戻ってくるためには、本当にチームが危機に瀕するか、10番がひとりもいない状況にならないといけない」とラジオで語り、ウィルキンソンにプレッシャーを与えることを避けるべく事態の沈静化を図った。

 

 一方でウィルキンソンに代わるキッカーとして今季加入したものの肩のリハビリと内転筋の怪我でいまだ一度もプレーできずにいるリー・ハーフペニーに関して、ブジェラルは内転筋の怪我を隠してトゥーロンと契約した疑いを指摘。契約破棄の可能性にも言及したため、ハーフペニーのエージェントが、話し合いを持つべく今日急遽トゥーロン入り。ハーフペニー側からトゥーロンに残る意志を示す公式声明が出されたが、ウェールズではすでにカーディフ・ブルーズとオスプレイズが獲得に興味をしており、万が一ハーフペニーがトゥーロンを離れるようなことになれば、ウィルキンソンの復帰が一気に現実味を帯びることになる。

 

 「昨日練習でジョニーに会ったよ、他の全員同様に。チーム全体をコーチしてくれた(月に1度、1週間トゥーロンに留まりスキルコーチを務めている)。でも、復帰については訊かなかった。彼の問題だから。おれの方から何か言うことは出来ない。ジョニーは今第2の人生を生きている。彼自身が自分で考えることだ。ジョニーはチームメイトとグラウンドにいる時はすべてを捧げるし、あんまりにも驚かされることが多いから... おれにはわからないよ。ジョニーはこのクラブを心底愛している。フレッド(ミシャラク)の怪我が深刻でなければいい。でも、もしチームがどうにもならない状況に陥って、ベルナールが頼んだら、ジョニーは『うん』と言うと思う。でも、彼の代わりにおれが答えるわけにはいかない」と、フォワードコーチのジャック・デルマスは昨日のクラブの定期会見で質問に答えた。

 

 トゥーロンサポーターが夢見る奇跡のカムバックは見られるのか。現時点では「ノー」だが、ミシャラクの怪我の具合を見極めるまで、夢見る日々は続く。

2014/09/01

 「その選手は以外と近くにいるかもしれない」

 

 クイーンズランドレッズに移籍するジェームズ・オコナーの穴埋めに、ジョニーの復帰をほのめかしたトゥーロン会長ムラッド・ブジェラルだが、金曜日にその件について訊かれると、「クラブはその方向ではまったく話を進めていないし、ジョニー・ウィルキンソンが『またプレーがしたい』とおれに言いにきたわけでもない。もし明日、ジョニーが『またプレーしたい』と言ってきたらこう言うけど。『まあ座れ、それから話し合おう』。でも今のところ、ジョニーはプレーしたいとは言ってきていない」と、今度は打って変わってサポーターとメディアを牽制。まあ、ブジェラルのこの手のコメントにはもうみんな慣れたものなのでさして気に止めることはないし、そもそもジョニーがプレーしたいと言ってくるのを待つのではなくて、ブジェラルがジョニーを説得する形になるはずだから、このコメントにはほとんど何の意味もない。

 

 昨シーズン限りでラシンメトロとの契約を打ち切って母国に帰り、現在所属クラブなしのアルゼンチン代表のユーティリティーバックフアン・マルティン・エルナンデスがトゥーロンが持ちかけた6ヶ月間の契約を受け入れたという話しだが、ここ数シーズン「エル・マゴ(魔法使い)」との異名をとった以前の輝きを取り戻せずにいるエルナンデスの獲得を、監督のラポルトとブジェラルは決めかねているらしく、もう少しラグビーチャンピオンシップでのプレーを見て最終的な判断を決めるらしい。

 

 でも、アルゼンチン代表でもスタンドオフとしては使われず、センターでプレーしているエルナンデスを獲る理由が見当たらない。トゥーロンは、フルバックもセンターもタレントは飽和状態で、欲しいのはスタンドオフ。しかも、フルバックで初スタメンとなった先週末のラシンメトロ戦で、「チーム全員がオコナーのレベルのプレーをしてたら、当然勝ったよ」とラポルトの称賛を受け復活を印象づけたワラビーズの元神童と、魔法を失った今のエルナンデスでははっきり言って差がありすぎる。

 

 一方でジョニーのトレーニングはますますハードになっている。ま、だからといってそれが現役復帰のサインかというと、ジョニーの場合はただのビョーキだから特に何かあるとは言えないわけだけど。それでも、現在育成にいる今季クイーンズランドレッズから加わったオーストラリア20歳以下代表のユージェイ・セウテニはまだトップレベルには早過ぎるということで、現状ではエルナンデスの出来次第で、ジョニーの現役復帰という奥の手が炸裂する可能性は十分にある。ま、とりあえず、しばらく様子を見てみよう。

2014/08/30

 ひと月半前にトップ14の新シーズンの見物の1人として、鳴り物入りでトゥーロンに加わった元オーストラリア代表ジェームズ・オコナーが、2月から始まるスーパーラグビーの新シーズンに合わせてクイーンズランドレッズに加入することがトゥーロンとレッズの両サイドから公式に発表された(レッズ側は2年契約と発表しているが、トゥーロン側は「ワールドカップ後には戻ってくる」と主張)。

 

 元々来年のワールドカップに向けてワラビーズへの復帰を諦めていなかったオコナー。代表監督であるユアン・マッケンジーも「扉は開いている」と以前から言い続けており、あとは代表復帰の前提となる「国内リーグでプレー」するために、受け入れ先クラブを見つけるだけとなっていた。1週間前には決断を下すのはまだ1ヶ月ほど先と語っていたオコナーだが、先週末のフォーネイションズのニュージーランド戦で、オコナーと同じく複数のポジションをこなせるユーティリティーバックのパット・マッケイブが自身3度目となる頸椎の骨折を負い選手生命にピリオドを打たざるをえなくなったことを受けて、マッケンジーから代表復帰の確約と国内復帰を求める電話が入ったらしい。

 

 トゥーロン側にとっては大きな痛手のようにも見えるが、実はこの展開はオコナーの加入以前より囁かれていたシナリオ通り。ヘッドコーチのベルナール・ラポルトにも会長のムラッド・ブジェラルにも慌てる様子はない。それでもオコナーの穴を埋めるために新しい選手を探してこなければならない。チームでのオコナーの位置付けは完全なユーティリティーバックで、フレデリック・ミシャラク、マット・ギトー(もう完全にトップ14にとけ込んだマットなので、こっちの発音で書かせてもらいます)を補佐する形での3番目のスタンドオフ。トゥーロンは昨シーズンもウィルキンソン、ギトー、ミシャラクと3枚のスタンドオフでシーズンを戦っており、ユーティリティーバックにしろスペシャリストにしろ、とにかくスタンドオフが出来る選手を連れてくることになる。おまけにギトー、ミシャラクとも近年はスタンドオフとしてフルシーズンを戦っておらず、共に「軽い」タイプのファンタジー溢れるプレースタイルで大ポカも時に見受けられ、欧州カップとトップ14の2冠の2連覇という偉業を目指すシーズンにはいまいち心許ないことを考えると、本物の10番が欲しいところ。

 

 フランスではすでにシーズンが開幕し2週間が過ぎ、プレミアシップとプロ12も開幕を来週末に控えており、市場に残っているプレーヤーはいわゆる売れ残り。となると選択肢は限られ、育成から若手を引き上げるか、 他チームですでに戦力外の烙印を押された選手を引き抜くか、南半球から一線級を呼び寄せるか。そんな状況で、オコナーレンタル(退団?)を発表した折に補強選手について訊かれたブジェラルの返事は、「その選手はおれたちからそんなに遠くないところにいるかもしれない…」。この思わせぶりなコメントが、トゥーロンサポーターの間に燻っていた切望にも近い「ジョニー現役復帰」の噂に再び火をつけた。

 

 今シーズンは月に一度1週間トゥーロンに滞在する形でスキル担当コーチを務めているジョニーだが、昨シーズン終了後にブジェラルは「どっちにしてもクラブとしてはジョニーのライセンスは来年も継続する」と言っており、実は今でも選手として登録されておりいつでもプレーできる状況にある。一昨年のシーズンには、トゥールーズで引退初年度からコーチに就任していたウィリアム・セルヴァットが、怪我人の続出でフッカーがいなくなるというチームの緊急事態を受けシーズン半ばで現役復帰をしており、特に珍しいことでもない。ジョニー自身も、相変わらずの「ビョーキ」は治らないらしく、現在もトゥーロン滞在時は現役時代と同じトレーニングをこなした上でコーチとして選手とともに汗を流しており、現役時代と変わらないコンディションを維持。ブジェラルの言葉を聞くと、サポーターがジョニーの復帰を夢見たくなるのも無理はない。

 

 それでも、メディアを賑わせるのが好きな会長の言葉を鵜呑みにするほどサポーターもナイーブではないし、ジョニーは引退の決断に満足していると語っており、そもそも一度決めた引退を撤回するというのはジョニーらしくない。メディアでも早速、アルゼンチン代表のユーティリティーバックフアン・マルティン・エルナンデスの獲得にトゥーロンが動いているという情報が流れ、今のところ先行きは不透明。オコナーがチームを離れるのは1月。今しばらくトゥーロンサポーターの夢見る日々は続く。

2014/08/04

 フランス、トゥーロンでのハイネケンカップとトップ14の2冠を置き土産に昨シーズン限りで引退した「ラグビー界のシンボル」ジョニー・ウィルキンソン。2003年のワールドカップウィナーのスタンドオフは新シーズンを同じトゥーロンで、キックとスキルを担当するコーチ補佐として迎えた。

 

 引退後のバカンス中もなぜかトゥーロンの練習グラウンドで独りキック練習をする姿が何度か目撃されていたジョニー。現役時代、練習の虫を通り越して、ほとんど「ビョーキ」扱いされていたその習慣はなかなか変えられないらしく、トゥーロンサポーターの間ではシーズン後半の大事な時期に復帰するという噂もまことしやかに囁かれている。

 

 そんなジョニーがトゥーロンでのシーズン始動に合わせて珍しくメディアのインタビューに応えたのが7月21日。翌22日には世界中184のサイトが同時にインタビューを掲載し、引退してもその存在の大きさは相変わらず。

 

 インタビューを聞いてみると、本人の自叙伝に書かれているのを裏付けるように、その成功の裏で常に不安にかられ苦悩していたジョニーの姿が見えてくる。ま、ジョニーの場合そのストレスは誰の目にも明らかだったから、苦悩の裏に成功が隠れていたと言っても過言ではないのだけど 。ちなみにこの自叙伝、フランスでは「完璧主義者の肖像」というタイトルで出版され、読むと完璧を目指すが故のそのビョーキっぷりに思わず笑いをこらえられない。今回はそんなジョニーのインタビューを以下に転載です。

 

 

 

2冠を達成した後はどんな気持ちだった?いつ、選手生活が終わったことを感じたか?

 

 「トゥーロンに帰ってきて街をあげての祝勝パレードの翌朝、目覚めたとき、本当に気持ちがよかった。僕のキャリアの中で、特に2003年のワールドカップ以降、たとえ試合に勝った後でも翌日というのはいつも難しかった。いい気分になれても、それからすぐに逆の状態になった。今年、引退するというのは僕にとって大事なことだった。やめるのは、頭と身体の問題だったけど、最後は身体よりも頭の言うことを聞いていた。でも、最後は最高の終わり方だったから、いい決断だったと思う。やめるには最高のタイミングだったよ」

 

こんなに早くページを捲るのは難しい?

 

 「確かに恋しくなるものをあるよ。でも、やめるのが正解だった。ここまで続けてきたのは、自分の選択に確信が持てなかったから。でも今回は十分考えることが出来た。2冠も達成することが出来て、『ありがとう』と『さよなら』を言うには理想的な終わり方だった。だから、6月2日にすっきりした頭で目覚めることが出来たんだと思う。他のことをやるのに必要なエネルギーを感じながらね。ラグビーの世界にいるのが一番好きだからコーチをやるのは楽しいよ。以前に自分が感じていたプレッシャーを感じる必要ももうないし。いつもあのプレッシャーから逃れたかった。やっと、スポーツを純粋に楽しみながら、同じことが出来る。絶対に勝たなきゃいけないわけでもなければ、チームのために完璧である必要もない。キャリアの最後の方は、『これをやらないと大変なことになるぞ。チームが高い代償を支払うことになる』という声だけが頭の中で聞こえていた」

 

変化はあった?

 

 「うん、そう思うよ。世の中というものに対して以前とは少し違った見方をするようになった。もちろんいくつかのことに慣れなきゃいけない。グラウンドに行って2時間たった独りで練習するために起きることがなくなるとか。ただボールを蹴りながら2時間を過ごすというのは、僕にとってはとっても有効なセラピーだった。自分自身で何かを学んで、自分の人生の中の問題を解決するための一種の方法だったんだ。でも、今自分に意欲を与えてくれてインスピレーションを駆り立てるのは、他の選手のために何かをすることだよ」。

 

コーチをすることは常に頭の中にあった? 

 

 「そういうわけではないよ。でも、自分の現役生活の間の数億回の練習で培ったものを使わず他の人に伝えないのは、自分にとって大きな間違いになると考えたんだ。トゥーロンでの最後の3年間、まず第一はチームのためにいいパファーマンスをして勝つことだった。ただ『生き残る』ためだけだった。すべてがうまくいっていた時は、『オーケー。うまくいった。ありがとう』と自分に言っていた(溜め息)。それだけだった。みんな知っているように、選手時代僕はあまり笑わなかった。言ってみれば、僕は自分の指先で皿を回している男のようなものだったんだ。皿が落ちないようにいつも集中して見ていないといけないから、すべてがうまくいっていると言う機会が絶対にない男。でも、今は何もしなくていい時間を一日の中に見つけられるよ」

 

現役の間、常に勝利の喜びと、最高のパフォーマンスを見せなければいけないという恐れの間で葛藤していたと思うのだが。

 

 「キャリアの終わりの方はそうだった。若い頃は違ったのだけど。特に2003年のワールドカップ以降は、自分自身、そしてチームメイトのためにも、自分自身に大きなプレッシャーをかけるようになった。それが絶対条件になってしまったんだ。楽しみではなくなってしまった。ある意味山の頂上まで来て、もっと上を見る喜びは感じても、それ以上に下を見て落ちて痛い目にあう恐怖を感じている男。どうしてかわからないけど、それが自分だった。もし何か変えることが出来たのだったら、まだ若かったからこう言ったと思う、『この喜びの方を持ち続けろ。このオープンで前向きな部分を』。でも実際には自分以外の人間と結果のことを考え過ぎていた。それはそれで良かった。でも、結局のところストレスとプレッシャーが大き過ぎだ。今度はこのプレッシャーをチームのために使えるから嬉しいんだ。他人のために何かをやるというのが存在理由だよ。」

 

つまり、自分のパフォーマンスと成功を評価することが出来なかった。今、振り返ってみて自分のやってきたことを評価することが出来るか?

 

 「何かとても価値のあるものだったとは思う。でも、繰り返し言うけど、僕のキャリアは2つに分かれる。2003年のワールドカップ優勝前と、その後。ワールドカップ以降は、さっき言った多くのプレッシャーと度重なる怪我が自分を苛めて、変えていった。4年間ほとんどグラウンドから遠ざかっていたし、その後は、以前の自分のレベルを取り戻さなければならないと必死だった。いつも何かにしがみついているようで、何か悪いことがあるたびに落っこちるような感覚を覚えたよ。例えばここ数年、フレッド(フレデリック・ミシャラク)やマット・ギタウを見ながら、嫉妬を感じていたよ(笑)。トレーニングを完璧にして、いい試合をして、その一方で友達と遊んでリラックスする。なのに、僕は家に閉じこもって翌朝の練習に備えていた。それでも、もしそうしていなかったら、自分が築いたキャリアは築けなかったかもしれないけど。とにかく、振り返ってみたとき、この期間は自分の人生にとっての損失だったと思う。ニューカッスルでプレーしていたもっと若かった頃は、本当に僕自身そのものだった。その後で、昔の自分自身に戻ろうとしたけど、特に度重なった怪我のせいで、もう無理だった。仏教を学んでもう少し心の平穏を見つけようともしたけど、難し過ぎた。僕にとって1試合1試合が重要過ぎた。この小さな殻から抜け出るのは不可能だったんだ。結局最後まで続けたよ、これが自分のやり方だって思いながら」

 

もし負けていても引退していたか?

 

 「わからない。だからこそ今満足しているよ。シーズンの終わりは完璧だった。自分を責める必要もないし、キックミスを悔やむこともなければ、すべて要求通りにやったかを思い直すこともない。もし決勝でキックを外して負けていたら、どうやって生きていけたかわからない。本当に難しかったと思うよ。今、全部終わってやっと、以前よりも気軽に息をすることが出来るようになって、他のことにも目を向けられるようになったよ」

 

 

 

 自分自身を客観的に真っ直ぐ見つめるその誠実さと芯の強さは変わらない。ファンとしてはもうジョニーのプレーを見られないのは残念だが、トップ14決勝後にスタッド・ド・フランスで見せた今まで誰も見たことがなかった解放されたあの笑顔の後では、引退の決断に誰も文句は言えない。笑顔のジョニーも悪くない。

2014/07/24

 フランスでは7月頭、代表のフレデリック・ミシャラクが2015年のワールドカップ後に日本のトップリーグへ移籍するというニュースが流れた。今や、トップ14と同様かそれ以上のサラリーを提供できる世界で唯一のリーグとしてフランスでも知られ、引退間際の選手の墓場か出稼ぎ先といった目で見られている日本のトップリーグ。日本でプレーする初めてのフランス人トッププレーヤーになるかとメディアは色めき立った。

 フランスの名門トゥールーズでスクラムハーフとして18歳でデビューし、9ヶ月後には代表でスタンドオフとしてデビュー。以降、よくも悪くも常にフレンチフレアー振りを発揮。インスピレーション溢れるランと華麗なパスで魅せたかと思えば、諸刃の剣の軽いプレーとなかなか改善されないディフェンスはチームの足枷に。一時は代表での活躍で国民的スターになるも、安定しないプレー振りから近年はトリコロールから遠ざかることも多かった。ポジションも、自らはスタンドオフでのプレーを望むも、トゥールーズでは監督のギイ・ノベスからスタンドオフ失格の烙印を押され、10番でのプレーを望み、2007年、2011年と2度に渡りスーパーラグビーのシャークスへ移籍。2012年シーズンからはトゥーロンでプレーするも、代表監督時代はミシャラクをスタンドオフで使い続けた現トゥーロン監督のベルナール・ラポルトは当然のごとくジョニー・ウィルキンソンを絶対のスタンドオフとして起用。再びスクラムハーフとしてプレーすることを余儀なくされ、スクラムハーフでもスタンドオフでも2番手という位置づけで2シーズンを過ごすことになった。

 ウィルキンソンが昨シーズン限りで引退したことで、今季はトゥーロンでスタンドオフの椅子をマット・ギタウとジェームズ・オコナーの2人と争うと見られているが、現状ではミシャラクが一番手。ウィルキンソンとの比較に関しては、自らも「自分は誰の後継者でもない」と答えている通り、プレースタイルも異なれば求められる物も違う。そもそも、ウィルキンソンの後釜は、誰にも務まらない。ただ、ギタウはスタンドオフでも悪くないが、いいスタンドオフの横で使われて最も生きるタイプ。オコナーもセカンドボールでその能力をもっとも発揮すること考えれば、消去法でミシャラクのスタンドオフ起用が最も合理的となる。昨シーズン終盤は、トップ14のプレーオフ、ハイネケンカップの決勝とベンチからも外され、チームの2冠を悔しい思いで眺めることになったミシャラク。最後のワールドカップ出場もかかる今季に懸ける思いは強い。「長いシーズンになることはわかってる。目標はトゥーロンで再びタイトルを獲ること。その後でワールドカップ出場がついてくればいい」

 そんなミシャラクに降って湧いた日本移籍の噂。結局本人が昨日、「根も葉もない噂だよ。今のところトゥーロンとの契約が残っているし、それを全うしたい。おれは完全にトゥロネ(トゥーロンっ子)だよ。ここで幸せだ。このチームのスピリットを気に入っている。とてもプロフェッショナルなクラブで、自分に完璧にフィットしているよ」と否定したことで立ち消えとなったが、プレー同様その場その場の直感でクラブを選んできたミシャラク、あながちないとも言い切れない。 

2014/07/22

 今の欧州ラグビー界は、才能溢れるフルバックの宝庫。今季のシックスネイションズでMVPに選ばれたイングランドのマイク・ブラウン。アイルランド代表、レンスターで不動のフルバックを務めるロブ・カーニー。昨年からフランス代表の15番の定位置を掴んだブリス・デュラン。22歳の若さながら、昨夏のライオンズツアーにも招集されたスコットランドの期待の星、スチュワート・ホッグ。その中でも、すべてのプレーの完成度と世界一とも言われるプレースキックの精度で、ヨーロッパ最高のフルバックと言われているのが、ウェールズ代表のリー・ハーフペニー。

 

 25歳で48キャップを数え、2013年のシックスネイションズと24年ぶりにオーストラリア相手に勝ち越したブリティッシュアンドアイリッシュライオンズツアーでそれぞれ最優秀選手に選ばれたハーフペニーは、新シーズンの移籍市場の一番の目玉だった。代表選手の国外流出にともなう国内クラブの欧州シーンでの競争力低下とサッカー人気の盛り上がりに頭を悩ませるウェールズラグビー界で、元所属クラブのカーディフ・ブルーズはハーフペニーの移籍を思いとどまらせるべくあらゆる手を打ったが、現在ハイネケンカップ2連覇中のフランスのトゥーロンが提示した年俸6600万円の契約に打つ手はなかった。

 

 3月のイングランド戦で脱臼した右肩は完治。ハーフペニーは現在、トゥーロンのプレシーズンキャンプを涼しいアルプスのティーニュで順調に送っている。「トゥーロンでプレーするのは、個人的にも、ラグビーにおいても本当のチャレンジだよ。それが僕が探していたものだ。いち早くチームにとけ込むためにもフランスの習慣を学ばなくちゃいけない。それから、トゥーロンはトッププレーヤーの集まるファンタスティックなチームだ。クラブの目指すところは高いし、だから僕はここに来たんだ。トゥーロンはここ数年、本当に大きな成功を収めてきた。そのプロジェクトの中にいられるのは大きな喜びだよ。目標は、昨年同様の成績を残すこと(国内及び欧州カップの2冠)。簡単じゃない。他チームが待ち構えているし、自分たちにかかるプレッシャーもある。でも昨シーズン、選手たちはそれが可能だって証明した」と、未知の国での挑戦への意気込みを落ち着いて語る。

 

 また、昨シーズン限りで引退したジョニー・ウィルキンソンの後継者としてプレースキッカーの大役も担うことになる。「ジョニーは、すべての選手のお手本だよ。ラグビーの象徴だ。プレースキッカーとしてジョニーの跡を継ぐのは光栄だよ。たとえそれが簡単な仕事ではないとしても。でも、ジョニーはコーチとしてチームにいる。彼と練習をして、キック同様、他のスキルもレベルアップさせるためにアドバイスをもらえるのは特権だよ。」

 

 一番気に入ったのはトゥーロンのホームスタジアムであるマイヨールの雰囲気だと言うハーフペニー。「カーディフにいた時に来たけど、サポーターのあの熱気を見た時は信じられなかったよ」。今度は自らのプレーで、フランス一熱いトゥーロンサポーターを熱くさせられるか。ホーム開幕戦は1ヶ月後だ。

2014/07/17

 サイズがないという理由だけで年代別代表に選出されないのを見かねた父親からの助言で、14歳で10年間親しんだ13人制ラグビーから15人制へ転向すると、あっという間に頭角を現し、2008年5月3日に、ウェスタン・フォースでスーパー14史上最年少の17歳と303日でデビュー。半年後の11月にはワラビーズで初代表キャップを飾り、23歳までに既に44キャップを獲得。スタンドオフ、インサイドセンター、ウィング、フルバックをどれもハイレベルでこなすそのポリバラントなプレーぶりも合わせ、まさしく神童と呼ばれたジャームズ・オコナーとの契約をオーストラリアラグビー協会が解除したのが2013年9月。フォーネイションズの試合のために代表チームが集合していたパースの空港に酩酊状態で現れ、警察に連行されるはめに。それまでにも何度かアルコール絡みの問題をグラウンド外で起こしていたオコナーに対して、協会はついに契約解除に踏み切った。

 

 行き場をなくしたオコナーが選んだのはヨーロッパ。2013年10月にプレミアシップのロンドン・アイリッシュと契約し、シーズン終了後までに15試合に出場、プレースキッカーも務め、個人通算100得点を挙げてチームに貢献すると、ワールドカップイヤーとなる今シーズン、代表復帰の最後の望みをかけて、2年連続ヨーロッパチャンピオンのトゥーロンへ移籍した。ただし、ワラビーズに選出されるためには、母国オーストラリアでプレーしなければならない。契約が正式に発表される以前から、トゥーロンには半年の腰掛けで、スーパーラグビーの新シーズンの幕が開ける来年2月には母国に戻って、クイーンズランドレッズでプレーするという噂も聞こえている。「ここには1年契約で来ている。その後はどうなるか見てみるよ。ワールドカップに関しては、自分自身でもどうなるか分からないから今は大したことは言えない。ただ、もちろんワールドカップでプレーして、再びオーストラリアのジャージを纏いたい。ただ、多くのルールがあるからそう簡単じゃない。可能かどうか、協会側と話し合いを続けていくよ。今のところは、ここトゥーロンで自分の仕事に集中したい。それで、また新たなタイトルが獲れることを望んでるよ」と、トゥーロンのシーズン練習初日となった7月7日に本人は答えている。以前の素行の悪さに話を向けられると、「もう終わったことで、過ぎたことだよ。ここでは、最高の環境が用意されている。いいプレーをしてタイトルを獲ることに集中しているよ。そうするためには最高の場所にいると思う」と、デビュー当時のチームメイトであったマット・ギタウとドリュー・ミッチェルの存在も挙げ、新シーズン、その先にあるワラビーズへの復帰の意気込みを新たにした。

 

 一方で、現オーストラリア代表監督であるユアン・マッケンジーも先月末、オコナーにまだチャンスが残されていることを明言した。「彼はXファクターを持っていた。アッタクで何かを起こすことができる。ゲームに必要なことはすべて出来るし、いいプレースキッカーでもある。非常に完成された選手だし、経験も豊富。40ちょっとのキャップをあの若さで獲得したんだ。そのまま続ければ簡単に100キャップを超えるよ。挑戦だよ。以前持っていたものを、取り戻さなければいけない。」と、オコナーの才能とセンスを評価する。「連絡は取っていた。私は彼に対して扉を閉めてはいない。彼は去ってしまっていたけど、今、自身の間違いを直して、生活を変えようとトライしているところだ。話してみて、代表に戻ってくる意思をはっきりと感じたよ。彼が戻ってきても私にとっては何の不思議もない。ただ、それは彼自身がすべて上手くやれるかにかかっている」。

 

  オコナーが最高のパフォーマンスを取り戻すことが出来れば、ヨーロッパ3連覇を目指すトゥーロンにとっても、ワールドカップ本大会でイングランド、ウェールズ、フィジーと同組となったワラビーズにとっても、大きな武器になるのは間違いない。あとは本人がどこまで変われるか。アルコールの誘惑に負けて天賦の才を潰すのか。代表キャリアの第2幕を上げ、100キャップを超えて伝説になるのか。マッケンジーが言うように、必要なものはすべて持っている。あとは、まだ若い24歳のユーティリーティーバックの意思次第だ。

2014/06/05

 パリのスタッド・ド・フランスまで行けなかったサポーターたちのために、2ユーロの入場料でパブリックビューイングを行っていたホームスタジアムのマイヨールでは、試合時間残り2分を切って、試合終了の笛を待ち切れないファンが芝生の張り替え中のため立ち入りが禁止されていたはずのグラウンドに流れ込む。スタッド・ド・フランスのスタンドでは、会長のムラッド・ブジェラルが感極まった顔でスタジアムの時計を見つめている。トゥーロンサポーターで真っ赤に染まった南側スタンドが振られる赤と黒の旗で波打つ。スタジアムに80分を告げる鐘が鳴り響き、スクラムハーフのマイケル・クラッセンズがボールをタッチラインの外に蹴りだすとレフェリーの笛が鳴り終わるのを待たずに、グラウンドの内外から、メンバー表から漏れた選手も含めて、すべてのチームメイトがウィルキンソンに駆け寄り輪が出来る。22年振りにブレニュス盾がトゥーロンに戻ってきた。
 

 組織的なチームディフェンスを売り物にするカストルとトゥーロンの両チーム、ましてやトップ14の決勝。試合は予想通りロースコアの競ったゲームになった。

 

 試合開始からボールを支配したのはトゥーロン。1週間前のハイネケンカップ決勝で、サラセンズの強力フォワードをねじ伏せたフォワード陣を中心にアタックを継続、8分にウィルキンソンのペナルティゴールで先制。

 

 10分、自陣22mからのカウンターで、カストルのスコットランド代表ウィングのマックス・エヴァンスがトゥーロンディフェンスの後ろに上げたショートパントの幸運なリバウンドを自らインゴールで掴んでそのままトライ。たった1度のマイボールをトライにつなげるというカストルらしいゲーム運びで7−3と逆転に成功する。

 

 22分、31分ににスクラムを押し込んで得たペナルティをそれぞれウィルキンソンが決め、カストルは28分にはロリー・ココットがペナルティゴールを決める。

 

 9−10とトゥーロン1点ビハインドの35分、準決勝のラシンメトロ戦、ハイネケンカップのサラセンズ戦、そして2003年のシドニーでもそうしたように、ウィルキンソンが「苦手な」右足でドロップを決めた時点で、試合は決まった。そのまま12−10で試合を折り返すと、後半も接点の争いで優位に立ち、前半とは反対にキックを織り交ぜ完全にゲームをコントロール。カストルに何もさせずに、ウィルキンソンとデロン・アーミテージがそれぞれ1つずつペナルティゴールを加え、18−10で試合終了を迎えた。

 

 カストルコーチであるセルジュ・ミラスの「難しい状況におかれたわけでもないのに負けるのは本当に悔しい」という試合後のコメントが、実は今年のトゥーロンの強さを物語っている。ハイネケンカップ制覇の直後には、英紙のサンデータイムズに「各国代表チームも含めて今シーズンのヨーロッパ最強チーム」と評された赤い軍団は、がっぷり四つの真っ向勝負なら絶対に負けないという信念のもと、アッタクでは走れて接点でも強いフォワード陣がボクシングのジャブを出すように相手を押し込み、疲弊させ反則を誘う。監督であるベルナール・ラポルトの代名詞である緻密で統制されたディフェンスは、取られる点数を計算可能にし、後はウィルキンソンのキックで取れる点を確実に重ねるというもの。大会最強のフォワードが前進し、ウィルキンソンが点を重ねた2003年のイングランド代表に重なる戦い方である。カウンターを被る危険のある一発大きなパンチを狙わなくても、最終的には相手を息切れさせることの出来る圧倒的なチーム力が、今シーズンのトゥーロンにはあった。

 

 また、昨シーズンの失敗もしっかり活かした。昨シーズンはハイネケンカップを制した後、肉体的には疲労が限界に達しガス欠、精神的にもタイトルを取った満足感で、トップ14の決勝に辿り着いた時にはもうチームは戦える状態にはなかった。今年は、試合後のリカバリーに細心の注意を払い、最後の1ヶ月間はクリオテラピーのバスをチームに帯同させ、試合中の選手交代も、予定よりも早くするなど、シーズン最後の数週間はすべてこの日に合わせて計算されてきた。前年にハイネケンカップを制した際には、朝の5時までパーティーをやっていたのが、今年はバッキース・ボタ、ダニー・ロッソウ、マット・ギタウ、ウィルキンソンらは11時半過ぎには就寝、チームも翌日に簡単なバーベキューをしただけで、すぐに次の目標に頭を切り替えていた。「ハイネケンカップの決勝の後、今回は雰囲気が違った。選手をちょっと見たのだけど、本当に満足しているという感じはあったけど、同時に何かをまだ持っていた。それが、もう少し先まで行きたいという願望だったのだと思う」と、ラポルトは試合後語った。一昨年、昨年と2年連続して決勝で敗れていた上、今年はウィルキンソン現役最後の試合。負けることは許されなかった。

 

 シーズン前、そしてトゥーロンが両トーナメントの決勝への切符を手に入れた後でも、ほとんどが「ハイネケンカップとトップ14の2冠は不可能」と言い続けていた。1996年に、トゥールーズが達成しているが、それはイングランドのクラブがボイコットしたハイネケンカップで決勝は3月に行われており、レベルは遥かに低く試合数も少なかった上、当時のトップ14のレベルも現在とは比べ物にならないものだった。以降、2冠に迫ったチームはあったが、ことごとく失敗していた。

 

 8年前に2部で燻っていたクラブを引き受けた、自身もトゥーロン生まれトゥーロン育ちのブジェラルが言う。「信じられない。会長になってからこの光景を5万回は想像してきた。でも、それは幻のような、不可能なものだった。今、それが現実になった。5万1回目を生きてるよ」。もう、トゥロネ(トゥーロンの住民)の辞書に不可能の文字はない。

2014/05/29

 正真正銘街の中心街に位置するスタジアムはヨーロッパで2つだけ。トゥーロンのマイヨールと、ウェールズのナショナルスタジアムであるカーディフのミレニアムスタジアム。5月の第4週の週末、来季からの大会方式変更を控え、最後となった欧州チャレンジカップとハイネケンカップの決勝のために、ヨーロッパ中のラグビーファンがカーディフに集まった。両トーナメントの決勝を同じ街で金曜日の夜と土曜日に分けて行うのは(ただし、別々のスタジアム)、毎年の慣例。開催都市は週末の間ラグビー一色に染まる。

 

 欧州クラブナンバーワンを決めるハイネケンカップ決勝を5時に控えた土曜日の午後、カーディフの通りは、思い思いの格好で各々のメッセージを発信するサポーターで溢れていた。サラセンズとトゥーロンのサポーターだけでなく、前夜のチャレンジカップ決勝を戦ったバースとノーザンプトンのサポーター、セルティックリーグ、トップ14、プレミアシップのクラブのジャージも至る所に見える。サラセンズに準決勝で敗れたクレルモンのあの目立つ黄色いジャージの一団に出くわす。去年、ダブリンの決勝ではトゥーロンに敗れ、今やフランス国内でも両チームのライバル意識は知れたところ。

 

 「どっちの応援だよ?」

 笑いながらそう訊く僕のトゥーロンのジャージを見ながら、男も笑ってはぐらかす。

 「ラ・マルセイエーズ歌ってくるよ」

 

 今季限りでの引退を表明したトゥーロンのスタンドオフ、ジョニー・ウィルキンソンにとっては、英国内での最後の試合。母国の英雄の勇姿を最後に一目見ようと、イングランド代表のジャージを着たファンも多く、トゥーロンの10番のジャージを着たイングランドサポーターもやたら見かける。たまたま道端で話して意気投合して一日を過ごすことになった、現在55歳のサリーズサポーター、元ラグビー選手で現在は町議会議員のマーティンが嘆く。「サラセンズサポーターはどこだ」。

 

 英国らしく朝から降り続く雨にも、街の熱気は冷めることはない。至る所で笑い声が、英語で、フランス語で、弾ける。サポーターが歌う声が聞こえる。試合開始1時間半前の開門が近づくと、「聖地」ミレニアムスタジアムに、三々五々サポーターが集まってくる。試合後に落ち合う時間と場所を決め、試合前にもう1杯と言うマーティンを残しスタジアムへ(昼食時に既に1人で赤ワインを1本空けていたのだが)。

 

 完全開閉式の屋根は閉じられ、雨に打たれる心配もない。芝生の状態は最高。チーム練習を前に、ウィルキンソンが今や儀式となったキック練習をいつものルーティン通り行っていた。

 キャプテンを先頭に両チームがグラウンドに出てくるとスタジアム全体がスタンディングオベーションで迎える。ともに今季限りでジャージを脱ぐ元イングランド代表2人。サラセンズのキャプテンは、ジャパンのフォワードコーチ就任が決まっているスティーブ・ボースウィック。トゥーロンを率いるのはジョニー・ウィルキンソン。

 

 堅いチームディフェンスと接点での激しさを売りとする似たチーム同士の対戦に、イングランドメディアでは、プレミアシップで圧倒的な攻撃力も見せたサラセンズが若干有利という見方だったが、終わってみれば、トゥーロンの鉄壁の防御とウィルキンソンのタクトの前に、ロンドナーはオーウェン・ファレルの2つのペナルティゴールのみに押さえられ、何も出来ずに終わった。「おれたちはチームで狩りをする。おれたちは狼の群れなんだ。狼の力はその群れ。群れの力は狼さ」。試合前にそう語っていたファレルだったが、その狼の群れはミレニアムスタジアムのどこにもいなかった。

 

 硬さが見え、信じられないようなミスも飛び出し、前半20分過ぎまで最悪の出来だったトゥーロンは、それでも3点のみのビハインド。22分にはファン・マルティン・フェルナンデス・ロベがシンビンを受けるも、10分後に戻ってきた時には、マット・ギタウとドリュー・ミッチェルのオージー親友コンビが奪ったトライでトゥーロンが7−3とリード。それまでにサラセンズはペナルティキック2本にドロップゴールを1本外しており、この時点で試合の流れは決まっていた。前夜の試合でも、バースのジョージ・フォードが難しくないペナルティを3本立て続けに外したのが響いて結局試合を落としたが、このレベルの試合で取れるはずの点を取らないことは、負けに直結する。ライン際の難しいコンバージョンをポールのど真ん中に通し、前半終了間際には、一週間前のトップ14の準決勝ラシンメトロ戦同様に、利き足とは逆の右足で平然とドロップゴールを決めてチームを流れに乗せたウィルキンソンとは対照的だった。

 

 後半に入ると両チームの差はさらに顕著になり、完全に攻め手を失ったサラセンズは、46分にファレルが2つ目のペナルティを決めたのが最後の得点となった。トゥーロン同様に一週間後に自国リーグの決勝を控えていたサリーズヘッドコーチのマーク・マッコールは、負けを悟った60分以降はプレミアシップの決勝に備え主力を交代。一方のトゥーロンは、ビデオ分析で見つけていたというサラセンズディフェンスの穴を突いて、60分に見事なトライを決め、ウィルキンソンが後半もすべてのキックを沈め、23−6で、イングランド国内では「無敵」とまで言われていたサラセンズに完勝。フランスのクラブとしては初めてハイネケンカップを連覇した。

 

 スタジアムを出たところでマーティンと再会する。

 

 「おめでとう」

 

 そう言って、手を伸ばしてくる。サードハーフを楽しむべく、僕らはレストランへと向かった。

 

 勝者にも敗者にも、まだシーズンは終わらない。

 

 サラセンズは、来る土曜日にチャレンジカップを勝ったばかりのノーザンプトン・セインツとのプレミアシップ決勝が残っている。

 

 トゥーロンは、同じく土曜日に、昨年と同じカストル相手のトップ14の決勝がパリで待っている。ヨーロッパチャンピオンの称号にも、選手、スタッフの間には、達成感は感じられても、去年のように気が抜ける感じはない。 「まだ、大きなことをやり遂げる途中のハーフタイムに過ぎない。おれたちに失敗は許されない。23年間、トゥーロンの街全体がフランスチャンピオンのタイトルを待っている」。クラブ会長のムラッド・ブジャラルは試合の翌日そう話し、前年の悪夢を思い出す。「去年は、何の偶然かカストルと同じホテルだった。エレベーターの中でブレニュス盾を持ったカストルの選手やスタッフと一緒になるのは拷問だった。最後には、階段を使ったよ」と得意のウィットを効かせた後で真顔になる。「カストルはコメディアンじゃない。去年は下に見ていた。2度と同じミスはしない」。

 

 ここ2年続けて決勝で敗れているトゥーロン。3度目の正直でブレニュス盾を手にした時、ハイネケンカップとトップ14の2冠という、誰も成し遂げたことのない偉業も達成される。

2014/05/28

 「ラグビーをプレーすることから引退することを、この機会に正式に表明させていただきたい。世界中から、そして特にここフランスとイングランドにおいて、常にサポートし続けてくれた感謝したい多くの人たちがいることは言うまでもない。ただ、今はそのことに構っている時ではない。自分の注意とエネルギーをすべてチームのために、シーズン最後に残された2つの決勝に集中させたい。皆さんが私に与えてくれたもの、そしてこの17年間を忘れ得ぬものにしてくれたことに、心から感謝したい」

 

 シーズンもハイネケンカップとトップ14の決勝の2試合を残すのみとなった5月19日、トゥーロンのスタンドオフ、ジョニー・ウィルキンソンが今シーズン限りでそのキャリアを閉じることを自身のホームページで発表した。

 13年間のイングランド代表キャリアで4度のワールドカップに出場し、91キャップ(ブリティッシュアンドアイリッシュライオンズとしても6キャップ)、ダン・カーターに次ぐ世界歴代2位の1179得点(同様に67得点)を記録。2003年ワールドカップでは、地元オーストラリアとの決勝延長終了間際に、「世界一有名なドロップゴール」を利き足ではない右足で決め、24歳にしてイングランド代表を優勝に導いた。その年はシックスネイションズもグランドスラムで制しており、国際ラグビーボードの年間最優秀選手にも選ばれ、イギリス王室よりイングランド代表選手としては最年少でサーの称号を授与されることとなった。それ以外にも2000年、2001年、2011年のシックスネイションズを制し、またクラブチームでは、1998年にニューキャッスルでイングランドチャンピオンに輝き、2001年と2004年のアングロウェルシュカップを獲得。昨シーズンはトゥーロンで念願だったハイネケンカップを手にした。

 

 それでも、今世界中から寄せられるオマージュは、そんな数字や栄光にではなく、その人となりと生き様に向けられたもの。

 

 「ジョニーはラグビーそのものを変えたけど、もっと重要なのは、どうやって試合に向かい、準備をするかを変えたことだ。『自分はプロフェッショナルで、しっかり準備し、ハードに練習にも取り組んでいるつもりでいた。でも、あいつはバーを遥かに高い所に置いていた』と私に語った彼の昔のチームメイトを何人も知っているよ。ジョニーはスタンドオフに必要なすべてを持っていた。信じられない程のキッカーで、ディフェンスも並外れていて、思うがままにボールを展開するハンドリングスキルもあった」。 ジョニー・ウィルキンソンが残した足跡の大きさを、現イングランド代表監督のスチュアート・ランカスターはそう表現する。

 強迫観念症とまで形容されるそのプロ意識は、自他ともに認める完璧主義者に相応しいもの。若い頃から、練習には一番始めに来て、最後に帰る。自分が納得するまで止めない。その練習の虫振りは、ジョニーと一度でもプレーしたすべてのチームメイトが口にし、今やトゥーロンではほとんどネタにまで。アウェーゲームでの移動日の朝7時に、チームメイトの到着を待つ間クラブハウスの駐車場で1人プレースキックをするジョニーや、試合翌日の練習オフの月曜の朝、たった1人雨に濡れる練習グラウンドでひたすらポールに向かってボールを蹴っては自ら拾い集めるのを繰り返す写真が、チームメイトやスタッフによってツイートされてはサポーターを喜ばせている。ジョニーとハーフ団を組むセバスチャン・ティルズ・ボルドも、「おれの居残り練習に付き合ってくれて、しかもその後1人で続けるんだよ。奥さん、気分悪くしなきゃいいけど」と心配していた。

 

 「多くの人がジョニーの永遠に終わらないたった1人のキック練習を語るけど、時には、グラウンドから追い出して、ベッドに送って寝かしつけなきゃいけなかった。でも、私にとって最も驚かされたのは、プレーの分析と、その理解と視野を高めるために彼が費やす時間だった。もしジョニーからラグビーを取ったとしたら、彼は別のことで成功するよ。トゥーロンでは、フランス語を学ぶだけじゃなかった。今やペラペラに話すだろ」と、当時18歳だったジョニーを代表に初招集し、5年後、2003年のワールドカップを共に制した元イングランド代表監督のクライブ・ウッドワードが証言する。

 「フランスにはジヌディーヌ・ジダンがいるように、イングランドにはジョニー・ウィルキンソンがいる」とフランス代表監督時代にジョニーを評した、現トゥーロン監督のベルナール・ラポルトは、「おれに一番影響を与えた選手だよ。本当のプロフェッショナル。ラグビーの世界では、最低限の仕事で満足する人間もいるけど、ジョニーがやるように、他人以上の努力をすれば、世代の最高の選手になれる。それどころか、何世代に渡っても、ジョニーのような選手はなかなか出ない。ただのキッカーじゃない。おれが見た中で最高のアタッカーで、すごいディフェンダーだよ」と以前の天敵に賛辞を贈り、ジョニーを指導する喜びを語る。「昔はいつも、どうやったらジョニーを止められるのかばかり考えていたのが、今は自分のチームにいるんだから。これほど嬉しいことはないよ」。

 

 そんなジョニーの選手人生は簡単なものではなかった。「見境なしタックル」とまで評された、スタンドオフらしくないハードタックルのせいもあり、2003年ワールドカップ以降は、大きな負傷だけでも17を数え、トゥーロンに移籍する2009年まで、2ヶ月以上怪我なく過ごすということすらなかった。シドニーであのドロップゴールを決めてから、再びローズのホワイトジャージに身を通すまでに3年以上を要し、2007年のワールドカップでは奇跡的な復活を見せるも、その後も怪我は続き、かつての「ゴールデンボーイ」は、もう終わったとみなされていた。

 

 そんなジョニーを、南フランスの軍港の街トゥーロンに呼び寄せたのが、名物会長のムラッド・ブジャラル。当時、メディアでも、ラグビー関係者の間でも、誰もがただの宣伝目的とみなしていた移籍も、ジョニーがもたらしたそのプロフェッショナリズムで、今やヨーロッパナンバーワンクラブとなったクラブの成功で、賞賛の声が絶えない。「おれの手柄じゃない。ジョニーの手柄だよ。実際のところ、ジョニーをトゥーロンに来させるのがどうしてあんなに簡単だったのか、さっぱり理解できなかった。時には、大したこともない選手を加入させるのに苦労するのに、世界最高の選手をサインさせるのは、いたって簡単だった。だって、誰もジョニーを欲しがってなんかいなかったから」というブジャラルの言葉が、当時のジョニーの状況を現している。

 

 トゥーロン加入後のジョニーは、イングランドとは正反対の、太陽と年間を通して温暖な気候が肌にあったのか、それまでの6年間が嘘のように、怪我に悩まされることもなくなり、コンディションを取り戻した世界最高のスクラムハーフはその輝きを取り戻し、イギリス人嫌いのフランス人の心を掴んだ「イングランドのウィルコ」は、「トゥーロンのジョニー」になった。以前、トゥーロンのカフェで、隣にいた50歳前後のいかにもブルーワーカーといった屈強な男3人のうち1人が、「この間よ、ふとかみさんのベッドテーブル見たら、ちょっと前までおれの写真があったところに、ジョニーの写真が飾ってあるんだよ。まあ、ジョニーだからしょうがないけどよ」と言うのを聞いて、思わず笑い出しそうになったのを覚えている。

 

 ジョニーがここまで愛される理由はプレーだけではない。グラウンド外でもプロフェッショナルを貫き、サポーターの呼びかけにも必ず応じ、サインも断らない。1度、夜の試合後にスタジアムの出口でサインに応じるジョニーを見たことがあるが、12月30日という真冬の寒さの中、11時半過ぎに出てきたジョニーは、すべてのファンのサインと写真に応じ、終わった時には翌日の深夜1時を回っていた。1時間半で進んだ距離は1m。それでも、サポーターの声援に笑顔とフランス語で応えながら帰っていった。

 

 賞賛の言葉がいくら並んでも、ジョニーを知る人間が彼を表現する時に一番に挙げるのがその謙虚さ。ジョニーの引退を聞いて、「最高のプロフェッショナルで、一番謙虚な男だよ。あと2週間、チームとジョニーのために全力を尽くすよ」と、トゥーロンのチームメイトであるブライアン・ハバナが語れば、「オーストラリア人としては、あのドロップゴールを決めたジョニーを嫌いにならなければいけないのだろうけど、あんなに控えめでいいヤツなんだ。好きにならずにはいられないさ」と、元ワラビーズの10番マット・ギタウも笑う。

 

 24日土曜日。カーディフ、ミレニアムスタジアム。サラセンズを破ったトゥーロンはフランスクラブとしては初めて、ハイネケンカップを連覇するとともに、その幕を閉じる最後の勝者となった。「このチームでプレーできることを本当に誇りに思っている」と試合直後のインタビューで答えた、翌日に35歳の誕生日を控えていたトゥーロンのキャプテンは、数日前に次のように自身の哲学を語っていた。「明日やその結果は忘れなければならない。ただパファーマンスそのものだけを考えて、もしこれが最後だったらと考えて、自問する。もし今やらなかったら、いつやる?それが、自分の選手生活の中で常に思っていたこと。後悔したくなかったから。一番後悔するのは、最後まで挑戦しないこと、やり遂げないこと、チャンスと責任をその手に掴まないことだよ」。

 

 土曜日。トップ14決勝。ほぼ完璧な履歴書に唯一欠けているブレニュス盾を書き加えるべく、17年間の現役生活最後の試合を迎える。それでも、結果にかかわらず、後悔はないとジョニーは言えるのだろう。

2014/05/19

 昨年は準決勝だった。

 

 2014年5月24日土曜日。カーディフはミレニアムスタジアム。来シーズンからは、ヨーロッパラグビーチャンピオンズカップとして生まれ変わることになるため、最後となるハイネケンカップの決勝。フランスクラブとして初めて連覇を目指すディフェンディングチャンピオンのトゥーロンが、日本代表菊谷崇の加入で日本でも注目を集めたサラセンズとヨーロッパクラブチャンピオンの座をかけて対戦する。

 

 昨年は準決勝で相見えた両チーム。共に武器とする堅いチームディフェンスを反映しノートライに終わったゲームは、元イングランド代表スタンドオフ、33歳のジョニー・ウィルキンソンがチーム総得点の24得点をその左足で叩き出し、同じくサラセンズの全12点をペナルティキックでマークした21歳、現代表10番のオーウェン・ファレルにレッスンを与える形になった。イングランド新旧スタンドオフ対決ということ以外に試合前からメディアの熱い視線が注がれていたもう1つの理由が、ブリティッシュアンドアイリッシュライオンズの夏のオーストラリア遠征メンバー発表を数日後に控えていたウォレン・ガトランドにとって、最後まで決まらずにいたジョナサン・セクストンともう一人のスタンドオフを、2人のうちどちらから選ぶ最後の機会だったこと。最終的には、ガトランドの電話による直接の懇願にもかかわらず、若い選手に経験を積ませるべきというウィルキンソン自身の意思に加え、遠征の出発がハイネケンカップ決勝の翌日に予定されていたこともあり、ファレルにその椅子を譲ることになるのだが、「これでガトランドは、今誰がナンバーワンのスタンドオフかわかっただろう」とコメンテーターに言わしめた、キックだけでなく完全に試合をコントロールしたそのゲームメイクは、いまだトゥイッケナムの王様はウィルコだと思い知らしめるものだった。73分にファレルの激しいチャージを受けながらも沈めた、試合を決めた37mのドロップゴールは、タックルを受けて倒れたウィルコがファレルを慰めるべく、「いいか、今のはちょっと運が良かっただけさ」と言いながら肩を叩くシーンと相まって、英仏のサポーターの間では今も語り種。トゥーロンはそのままの勢いで初めてのハイネケンカップを手にし、一方のサラセンズはその傷が癒えずに、レギュラーシーズンを1位で終えていたにもかかわらず、2週間後のプレミアシップのプレーオフ準決勝で4位のノーサンプトン・セインツに破れ無冠でシーズンを終えることとなった。

 

 その轍を踏まえて、今季のサラセンズは大きな進歩を遂げた。以前までの、3次4次のアタックまでサインが決まっていてそれでゲインできなければキックという、「退屈サラセンズ」とまで呼ばれていたお堅い守備偏重のプレースタイルからの脱皮を図り、ウィングのデイヴィッド・ストレットルが言うようにアッタクで「前よりもリスクを冒す」ようになったその結果は、プレミアシップレコードのシーズン87ポイント。10試合でオフェンシブボーナスを獲得し、1試合平均トライ数は3。ほとんどのポジションに2人ずつ代表選手を揃え、圧倒的な戦い振りで19勝3敗でレギュラーシーズンを終えると、17日に行われたプレーオフの準決勝でも同じロンドンのハーレクインズを31−17と圧倒。最高の状態で今週末の決勝に臨む。

 

 一方のトゥーロンは、シーズン中盤に調子を落としたものの、過去にない混戦となったトップ14で後半調子を上げ最終的にはシーズン1位で終えると、先週末に行われたプレーオフの準決勝でも、ラシン・メトロ相手に苦しんだものの、我慢強いらしい戦い振りで振り切り、ハイネケンカップの連覇と、トップ14を合わせた2冠に望みを繋いだ。また、チームのキャプテンであり、ラグビー界全体から尊敬を集めるウィルキンソンが、今日正式に今季限りでの引退を表明。チームメイトもサポーターも、「ジョニー」に最高の花道を送るべく1つになっている。

 

 チームカラーはともに赤と黒。土曜日のミレニアムスタジアムは、その2色に染まる。ともに自国リーグのレギュラーシーズンを1位で終え、プレーオフでも決勝進出を決めている両チーム。最後となるハイネケンカップ決勝は、正真正銘ヨーロッパ最強クラブを決める戦いになる。

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