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現代最高のナンバー10ジョニー・ウィルキンソン、ジャージを脱ぐ

2014/05/28

 「ラグビーをプレーすることから引退することを、この機会に正式に表明させていただきたい。世界中から、そして特にここフランスとイングランドにおいて、常にサポートし続けてくれた感謝したい多くの人たちがいることは言うまでもない。ただ、今はそのことに構っている時ではない。自分の注意とエネルギーをすべてチームのために、シーズン最後に残された2つの決勝に集中させたい。皆さんが私に与えてくれたもの、そしてこの17年間を忘れ得ぬものにしてくれたことに、心から感謝したい」

 

 シーズンもハイネケンカップとトップ14の決勝の2試合を残すのみとなった5月19日、トゥーロンのスタンドオフ、ジョニー・ウィルキンソンが今シーズン限りでそのキャリアを閉じることを自身のホームページで発表した。

 13年間のイングランド代表キャリアで4度のワールドカップに出場し、91キャップ(ブリティッシュアンドアイリッシュライオンズとしても6キャップ)、ダン・カーターに次ぐ世界歴代2位の1179得点(同様に67得点)を記録。2003年ワールドカップでは、地元オーストラリアとの決勝延長終了間際に、「世界一有名なドロップゴール」を利き足ではない右足で決め、24歳にしてイングランド代表を優勝に導いた。その年はシックスネイションズもグランドスラムで制しており、国際ラグビーボードの年間最優秀選手にも選ばれ、イギリス王室よりイングランド代表選手としては最年少でサーの称号を授与されることとなった。それ以外にも2000年、2001年、2011年のシックスネイションズを制し、またクラブチームでは、1998年にニューキャッスルでイングランドチャンピオンに輝き、2001年と2004年のアングロウェルシュカップを獲得。昨シーズンはトゥーロンで念願だったハイネケンカップを手にした。

 

 それでも、今世界中から寄せられるオマージュは、そんな数字や栄光にではなく、その人となりと生き様に向けられたもの。

 

 「ジョニーはラグビーそのものを変えたけど、もっと重要なのは、どうやって試合に向かい、準備をするかを変えたことだ。『自分はプロフェッショナルで、しっかり準備し、ハードに練習にも取り組んでいるつもりでいた。でも、あいつはバーを遥かに高い所に置いていた』と私に語った彼の昔のチームメイトを何人も知っているよ。ジョニーはスタンドオフに必要なすべてを持っていた。信じられない程のキッカーで、ディフェンスも並外れていて、思うがままにボールを展開するハンドリングスキルもあった」。 ジョニー・ウィルキンソンが残した足跡の大きさを、現イングランド代表監督のスチュアート・ランカスターはそう表現する。

 強迫観念症とまで形容されるそのプロ意識は、自他ともに認める完璧主義者に相応しいもの。若い頃から、練習には一番始めに来て、最後に帰る。自分が納得するまで止めない。その練習の虫振りは、ジョニーと一度でもプレーしたすべてのチームメイトが口にし、今やトゥーロンではほとんどネタにまで。アウェーゲームでの移動日の朝7時に、チームメイトの到着を待つ間クラブハウスの駐車場で1人プレースキックをするジョニーや、試合翌日の練習オフの月曜の朝、たった1人雨に濡れる練習グラウンドでひたすらポールに向かってボールを蹴っては自ら拾い集めるのを繰り返す写真が、チームメイトやスタッフによってツイートされてはサポーターを喜ばせている。ジョニーとハーフ団を組むセバスチャン・ティルズ・ボルドも、「おれの居残り練習に付き合ってくれて、しかもその後1人で続けるんだよ。奥さん、気分悪くしなきゃいいけど」と心配していた。

 

 「多くの人がジョニーの永遠に終わらないたった1人のキック練習を語るけど、時には、グラウンドから追い出して、ベッドに送って寝かしつけなきゃいけなかった。でも、私にとって最も驚かされたのは、プレーの分析と、その理解と視野を高めるために彼が費やす時間だった。もしジョニーからラグビーを取ったとしたら、彼は別のことで成功するよ。トゥーロンでは、フランス語を学ぶだけじゃなかった。今やペラペラに話すだろ」と、当時18歳だったジョニーを代表に初招集し、5年後、2003年のワールドカップを共に制した元イングランド代表監督のクライブ・ウッドワードが証言する。

 「フランスにはジヌディーヌ・ジダンがいるように、イングランドにはジョニー・ウィルキンソンがいる」とフランス代表監督時代にジョニーを評した、現トゥーロン監督のベルナール・ラポルトは、「おれに一番影響を与えた選手だよ。本当のプロフェッショナル。ラグビーの世界では、最低限の仕事で満足する人間もいるけど、ジョニーがやるように、他人以上の努力をすれば、世代の最高の選手になれる。それどころか、何世代に渡っても、ジョニーのような選手はなかなか出ない。ただのキッカーじゃない。おれが見た中で最高のアタッカーで、すごいディフェンダーだよ」と以前の天敵に賛辞を贈り、ジョニーを指導する喜びを語る。「昔はいつも、どうやったらジョニーを止められるのかばかり考えていたのが、今は自分のチームにいるんだから。これほど嬉しいことはないよ」。

 

 ジョニーの選手人生は簡単なものではなかった。「見境なしタックル」とまで評された、スタンドオフらしくないハードタックルのせいもあり、2003年ワールドカップ以降は、大きな負傷だけでも17を数え、トゥーロンに移籍する2009年まで、2ヶ月以上怪我なく過ごすということすらなかった。シドニーであのドロップゴールを決めてから、再びローズのホワイトジャージに身を通すまでに3年以上を要し、2007年のワールドカップでは奇跡的な復活を見せるも、その後も怪我は続き、かつての「ゴールデンボーイ」は、もう終わったとみなされていた。

 

 そんなジョニーを、南フランスの軍港の街トゥーロンに呼び寄せたのが、名物会長のムラッド・ブジャラル。当時、メディアでも、ラグビー関係者の間でも、誰もがただの宣伝目的とみなしていた移籍も、ジョニーがもたらしたそのプロフェッショナリズムで、今やヨーロッパナンバーワンクラブとなったクラブの成功で、賞賛の声が絶えない。「おれの手柄じゃない。ジョニーの手柄だよ。実際のところ、ジョニーをトゥーロンに来させるのがどうしてあんなに簡単だったのか、さっぱり理解できなかった。時には、大したこともない選手を加入させるのに苦労するのに、世界最高の選手をサインさせるのは、いたって簡単だった。だって、誰もジョニーを欲しがってなんかいなかったから」というブジャラルの言葉が、当時のジョニーの状況を現している。

 

 トゥーロン加入後のジョニーは、イングランドとは正反対の、太陽と年間を通して温暖な気候が肌にあったのか、それまでの6年間が嘘のように、怪我に悩まされることもなくなり、コンディションを取り戻した世界最高のスタンドオフはその輝きを取り戻し、イギリス人嫌いのフランス人の心を掴んだ「イングランドのウィルコ」は、「トゥーロンのジョニー」になった。以前、トゥーロンのカフェで、隣にいた50歳前後のいかにもブルーワーカーといった屈強な男3人のうち1人が、「この間よ、ふとかみさんのベッドテーブル見たら、ちょっと前までおれの写真があったところに、ジョニーの写真が飾ってあるんだよ。まあ、ジョニーだからしょうがないけどよ」と言うのを聞いて、思わず笑い出しそうになったのを覚えている。

 

 ジョニーがここまで愛される理由はプレーだけではない。グラウンド外でもプロフェッショナルを貫き、サポーターの呼びかけにも必ず応じ、サインも断らない。1度、夜の試合後にスタジアムの出口でサインに応じるジョニーを見たことがあるが、12月30日という真冬の寒さの中、11時半過ぎに出てきたジョニーは、すべてのファンのサインと写真に応じ、終わった時には翌日の深夜1時を回っていた。1時間半で進んだ距離は1m。それでも、サポーターの声援に笑顔とフランス語で応えながら帰っていった。

 

 賞賛の言葉がいくら並んでも、ジョニーを知る人間が彼を表現する時に一番に挙げるのがその謙虚さ。ジョニーの引退を聞いて、「最高のプロフェッショナルで、一番謙虚な男だよ。あと2週間、チームとジョニーのために全力を尽くすよ」と、トゥーロンのチームメイトであるブライアン・ハバナが語れば、「オーストラリア人としては、あのドロップゴールを決めたジョニーを嫌いにならなければいけないのだろうけど、あんなに控えめでいいヤツなんだ。好きにならずにはいられないさ」と、元ワラビーズの10番マット・ギタウも笑う。

 

 24日土曜日。カーディフ、ミレニアムスタジアム。サラセンズを破ったトゥーロンはフランスクラブとしては初めて、ハイネケンカップを連覇するとともに、その幕を閉じる最後の勝者となった。「このチームでプレーできることを本当に誇りに思っている」と試合直後のインタビューで答えた、翌日に35歳の誕生日を控えていたトゥーロンのキャプテンは、数日前に次のように自身の哲学を語っていた。「明日やその結果は忘れなければならない。ただパファーマンスそのものだけを考えて、もしこれが最後だったらと考えて、自問する。もし今やらなかったら、いつやる?それが、自分の選手生活の中で常に思っていたこと。後悔したくなかったから。一番後悔するのは、最後まで挑戦しないこと、やり遂げないこと、チャンスと責任をその手に掴まないことだよ」。

 

 土曜日。トップ14決勝。ほぼ完璧な履歴書に唯一欠けているブレニュス盾を書き加えるべく、17年間の現役生活最後の試合を迎える。それでも、結果にかかわらず、後悔はないとジョニーは言えるのだろう。

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