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トゥーロン、トップ14も制し2冠。—3度目の正直で悲願のブレニュス盾を手にする—

2014/06/05

 パリのスタッド・ド・フランスまで行けなかったサポーターたちのために、2ユーロの入場料でパブリックビューイングを行っていたホームスタジアムのマイヨールでは、試合時間残り2分を切って、試合終了の笛を待ち切れないファンが芝生の張り替え中のため立ち入りが禁止されていたはずのグラウンドに流れ込む。スタッド・ド・フランスのスタンドでは、会長のムラッド・ブジェラルが感極まった顔でスタジアムの時計を見つめている。トゥーロンサポーターで真っ赤に染まった南側スタンドが振られる赤と黒の旗で波打つ。スタジアムに80分を告げる鐘が鳴り響き、スクラムハーフのマイケル・クラッセンズがボールをタッチラインの外に蹴りだすとレフェリーの笛が鳴り終わるのを待たずに、グラウンドの内外から、メンバー表から漏れた選手も含めて、すべてのチームメイトがウィルキンソンに駆け寄り輪が出来る。22年振りにブレニュス盾がトゥーロンに戻ってきた。
 

 組織的なチームディフェンスを売り物にするカストルとトゥーロンの両チーム、ましてやトップ14の決勝。試合は予想通りロースコアの競ったゲームになった。

 

 試合開始からボールを支配したのはトゥーロン。1週間前のハイネケンカップ決勝で、サラセンズの強力フォワードをねじ伏せたフォワード陣を中心にアタックを継続、8分にウィルキンソンのペナルティゴールで先制。

 

 10分、自陣22mからのカウンターで、カストルのスコットランド代表ウィングのマックス・エヴァンスがトゥーロンディフェンスの後ろに上げたショートパントの幸運なリバウンドを自らインゴールで掴んでそのままトライ。たった1度のマイボールをトライにつなげるというカストルらしいゲーム運びで7−3と逆転に成功する。

 

 22分、31分ににスクラムを押し込んで得たペナルティをそれぞれウィルキンソンが決め、カストルは28分にはロリー・ココットがペナルティゴールを決める。

 

 9−10とトゥーロン1点ビハインドの35分、準決勝のラシンメトロ戦、ハイネケンカップのサラセンズ戦、そして2003年のシドニーでもそうしたように、ウィルキンソンが「苦手な」右足でドロップを決めた時点で、試合は決まった。そのまま12−10で試合を折り返すと、後半も接点の争いで優位に立ち、前半とは反対にキックを織り交ぜ完全にゲームをコントロール。カストルに何もさせずに、ウィルキンソンとデロン・アーミテージがそれぞれ1つずつペナルティゴールを加え、18−10で試合終了を迎えた。

 

 カストルコーチであるセルジュ・ミラスの「難しい状況におかれたわけでもないのに負けるのは本当に悔しい」という試合後のコメントが、実は今年のトゥーロンの強さを物語っている。ハイネケンカップ制覇の直後には、英紙のサンデータイムズに「各国代表チームも含めて今シーズンのヨーロッパ最強チーム」と評された赤い軍団は、がっぷり四つの真っ向勝負なら絶対に負けないという信念のもと、アッタクでは走れて接点でも強いフォワード陣がボクシングのジャブを出すように相手を押し込み、疲弊させ反則を誘う。監督であるベルナール・ラポルトの代名詞である緻密で統制されたディフェンスは、取られる点数を計算可能にし、後はウィルキンソンのキックで取れる点を確実に重ねるというもの。大会最強のフォワードが前進し、ウィルキンソンが点を重ねた2003年のイングランド代表に重なる戦い方である。カウンターを被る危険のある一発大きなパンチを狙わなくても、最終的には相手を息切れさせることの出来る圧倒的なチーム力が、今シーズンのトゥーロンにはあった。

 

 また、昨シーズンの失敗もしっかり活かした。昨シーズンはハイネケンカップを制した後、肉体的には疲労が限界に達しガス欠、精神的にもタイトルを取った満足感で、トップ14の決勝に辿り着いた時にはもうチームは戦える状態にはなかった。今年は、試合後のリカバリーに細心の注意を払い、最後の1ヶ月間はクリオテラピーのバスをチームに帯同させ、試合中の選手交代も、予定よりも早くするなど、シーズン最後の数週間はすべてこの日に合わせて計算されてきた。前年にハイネケンカップを制した際には、朝の5時までパーティーをやっていたのが、今年はバッキース・ボタ、ダニー・ロッソウ、マット・ギタウ、ウィルキンソンらは11時半過ぎには就寝、チームも翌日に簡単なバーベキューをしただけで、すぐに次の目標に頭を切り替えていた。「ハイネケンカップの決勝の後、今回は雰囲気が違った。選手をちょっと見たのだけど、本当に満足しているという感じはあったけど、同時に何かをまだ持っていた。それが、もう少し先まで行きたいという願望だったのだと思う」と、ラポルトは試合後語った。一昨年、昨年と2年連続して決勝で敗れていた上、今年はウィルキンソン現役最後の試合。負けることは許されなかった。

 

 シーズン前、そしてトゥーロンが両トーナメントの決勝への切符を手に入れた後でも、ほとんどが「ハイネケンカップとトップ14の2冠は不可能」と言い続けていた。1996年に、トゥールーズが達成しているが、それはイングランドのクラブがボイコットしたハイネケンカップで決勝は3月に行われており、レベルは遥かに低く試合数も少なかった上、当時のトップ14のレベルも現在とは比べ物にならないものだった。以降、2冠に迫ったチームはあったが、ことごとく失敗していた。

 

 8年前に2部で燻っていたクラブを引き受けた、自身もトゥーロン生まれトゥーロン育ちのブジェラルが言う。「信じられない。会長になってからこの光景を5万回は想像してきた。でも、それは幻のような、不可能なものだった。今、それが現実になった。5万1回目を生きてるよ」。もう、トゥロネ(トゥーロンの住民)の辞書に不可能の文字はない。

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