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やめてもジョニー

2014/08/04

 フランス、トゥーロンでのハイネケンカップとトップ14の2冠を置き土産に昨シーズン限りで引退した「ラグビー界のシンボル」ジョニー・ウィルキンソン。2003年のワールドカップウィナーのスタンドオフは新シーズンを同じトゥーロンで、キックとスキルを担当するコーチ補佐として迎えた。

 

 引退後のバカンス中もなぜかトゥーロンの練習グラウンドで独りキック練習をする姿が何度か目撃されていたジョニー。現役時代、練習の虫を通り越して、ほとんど「ビョーキ」扱いされていたその習慣はなかなか変えられないらしく、トゥーロンサポーターの間ではシーズン後半の大事な時期に復帰するという噂もまことしやかに囁かれている。

 

 そんなジョニーがトゥーロンでのシーズン始動に合わせて珍しくメディアのインタビューに応えたのが7月21日。翌22日には世界中184のサイトが同時にインタビューを掲載し、引退してもその存在の大きさは相変わらず。

 

 インタビューを聞いてみると、本人の自叙伝に書かれているのを裏付けるように、その成功の裏で常に不安にかられ苦悩していたジョニーの姿が見えてくる。ま、ジョニーの場合そのストレスは誰の目にも明らかだったから、苦悩の裏に成功が隠れていたと言っても過言ではないのだけど 。ちなみにこの自叙伝、フランスでは「完璧主義者の肖像」というタイトルで出版され、読むと完璧を目指すが故のそのビョーキっぷりに思わず笑いをこらえられない。今回はそんなジョニーのインタビューを以下に転載です。

 

 

 

2冠を達成した後はどんな気持ちだった?いつ、選手生活が終わったことを感じたか?

 

 「トゥーロンに帰ってきて街をあげての祝勝パレードの翌朝、目覚めたとき、本当に気持ちがよかった。僕のキャリアの中で、特に2003年のワールドカップ以降、たとえ試合に勝った後でも翌日というのはいつも難しかった。いい気分になれても、それからすぐに逆の状態になった。今年、引退するというのは僕にとって大事なことだった。やめるのは、頭と身体の問題だったけど、最後は身体よりも頭の言うことを聞いていた。でも、最後は最高の終わり方だったから、いい決断だったと思う。やめるには最高のタイミングだったよ」

 

こんなに早くページを捲るのは難しい?

 

 「確かに恋しくなるものをあるよ。でも、やめるのが正解だった。ここまで続けてきたのは、自分の選択に確信が持てなかったから。でも今回は十分考えることが出来た。2冠も達成することが出来て、『ありがとう』と『さよなら』を言うには理想的な終わり方だった。だから、6月2日にすっきりした頭で目覚めることが出来たんだと思う。他のことをやるのに必要なエネルギーを感じながらね。ラグビーの世界にいるのが一番好きだからコーチをやるのは楽しいよ。以前に自分が感じていたプレッシャーを感じる必要ももうないし。いつもあのプレッシャーから逃れたかった。やっと、スポーツを純粋に楽しみながら、同じことが出来る。絶対に勝たなきゃいけないわけでもなければ、チームのために完璧である必要もない。キャリアの最後の方は、『これをやらないと大変なことになるぞ。チームが高い代償を支払うことになる』という声だけが頭の中で聞こえていた」

 

変化はあった?

 

 「うん、そう思うよ。世の中というものに対して以前とは少し違った見方をするようになった。もちろんいくつかのことに慣れなきゃいけない。グラウンドに行って2時間たった独りで練習するために起きることがなくなるとか。ただボールを蹴りながら2時間を過ごすというのは、僕にとってはとっても有効なセラピーだった。自分自身で何かを学んで、自分の人生の中の問題を解決するための一種の方法だったんだ。でも、今自分に意欲を与えてくれてインスピレーションを駆り立てるのは、他の選手のために何かをすることだよ」。

 

コーチをすることは常に頭の中にあった? 

 

 「そういうわけではないよ。でも、自分の現役生活の間の数億回の練習で培ったものを使わず他の人に伝えないのは、自分にとって大きな間違いになると考えたんだ。トゥーロンでの最後の3年間、まず第一はチームのためにいいパファーマンスをして勝つことだった。ただ『生き残る』ためだけだった。すべてがうまくいっていた時は、『オーケー。うまくいった。ありがとう』と自分に言っていた(溜め息)。それだけだった。みんな知っているように、選手時代僕はあまり笑わなかった。言ってみれば、僕は自分の指先で皿を回している男のようなものだったんだ。皿が落ちないようにいつも集中して見ていないといけないから、すべてがうまくいっていると言う機会が絶対にない男。でも、今は何もしなくていい時間を一日の中に見つけられるよ」

 

現役の間、常に勝利の喜びと、最高のパフォーマンスを見せなければいけないという恐れの間で葛藤していたと思うのだが。

 

 「キャリアの終わりの方はそうだった。若い頃は違ったのだけど。特に2003年のワールドカップ以降は、自分自身、そしてチームメイトのためにも、自分自身に大きなプレッシャーをかけるようになった。それが絶対条件になってしまったんだ。楽しみではなくなってしまった。ある意味山の頂上まで来て、もっと上を見る喜びは感じても、それ以上に下を見て落ちて痛い目にあう恐怖を感じている男。どうしてかわからないけど、それが自分だった。もし何か変えることが出来たのだったら、まだ若かったからこう言ったと思う、『この喜びの方を持ち続けろ。このオープンで前向きな部分を』。でも実際には自分以外の人間と結果のことを考え過ぎていた。それはそれで良かった。でも、結局のところストレスとプレッシャーが大き過ぎだ。今度はこのプレッシャーをチームのために使えるから嬉しいんだ。他人のために何かをやるというのが存在理由だよ。」

 

つまり、自分のパフォーマンスと成功を評価することが出来なかった。今、振り返ってみて自分のやってきたことを評価することが出来るか?

 

 「何かとても価値のあるものだったとは思う。でも、繰り返し言うけど、僕のキャリアは2つに分かれる。2003年のワールドカップ優勝前と、その後。ワールドカップ以降は、さっき言った多くのプレッシャーと度重なる怪我が自分を苛めて、変えていった。4年間ほとんどグラウンドから遠ざかっていたし、その後は、以前の自分のレベルを取り戻さなければならないと必死だった。いつも何かにしがみついているようで、何か悪いことがあるたびに落っこちるような感覚を覚えたよ。例えばここ数年、フレッド(フレデリック・ミシャラク)やマット・ギタウを見ながら、嫉妬を感じていたよ(笑)。トレーニングを完璧にして、いい試合をして、その一方で友達と遊んでリラックスする。なのに、僕は家に閉じこもって翌朝の練習に備えていた。それでも、もしそうしていなかったら、自分が築いたキャリアは築けなかったかもしれないけど。とにかく、振り返ってみたとき、この期間は自分の人生にとっての損失だったと思う。ニューカッスルでプレーしていたもっと若かった頃は、本当に僕自身そのものだった。その後で、昔の自分自身に戻ろうとしたけど、特に度重なった怪我のせいで、もう無理だった。仏教を学んでもう少し心の平穏を見つけようともしたけど、難し過ぎた。僕にとって1試合1試合が重要過ぎた。この小さな殻から抜け出るのは不可能だったんだ。結局最後まで続けたよ、これが自分のやり方だって思いながら」

 

もし負けていても引退していたか?

 

 「わからない。だからこそ今満足しているよ。シーズンの終わりは完璧だった。自分を責める必要もないし、キックミスを悔やむこともなければ、すべて要求通りにやったかを思い直すこともない。もし決勝でキックを外して負けていたら、どうやって生きていけたかわからない。本当に難しかったと思うよ。今、全部終わってやっと、以前よりも気軽に息をすることが出来るようになって、他のことにも目を向けられるようになったよ」

 

 

 

 自分自身を客観的に真っ直ぐ見つめるその誠実さと芯の強さは変わらない。ファンとしてはもうジョニーのプレーを見られないのは残念だが、トップ14決勝後にスタッド・ド・フランスで見せた今まで誰も見たことがなかった解放されたあの笑顔の後では、引退の決断に誰も文句は言えない。笑顔のジョニーも悪くない。

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