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Egg Chaser 1. ジョージ・フォード −イングランドがついに見つけたジョニー・ウィルキンソンの後継者−

2015/04/07

 2003年11月22日、初夏のシドニー。イングランドはワールドカップ決勝でホスト国のオーストラリアに相対し、延長後半も終了まで30秒を切ってスコアは17−17。24歳のウィルキンソンの、利き足とは逆の右足から放たれたドロップゴールがポストの間を通り過ぎていくのを歓喜の絶叫と振り上げられる両腕とともに眺めて以来、イングランドサポーターは常に「ウィルコ」の後継者を探してきた。

 

 母国にワールドカップをもたらして以降は度重なる怪我に泣かされ、2009年にフランストップ14のトゥーロンに移籍するまではプレーできない時間の方が多かったウィルキンソン。イングランドはウィルコの引退を待つまでもなく、その影を追い続けるはめになった。同世代には今もプレミアシップの第一線でプレーするチャーリー・ホジソン、アンディ・グッドというとんでもなく上手い(いくつかのスキルだけに限ってみればジョニーよりも上)スタンドオフもいたが、代表ではウィルキンソンのような影響力は見せられず、以降も、神童と騒がれたダニー・シプリアーニ、ウィルキンソンの後輩で親友でもあるトビー・フラッド、最近ではオーウェン・ファレルらがイングランドの10番を背負ったが、最高のジェントルマン「ミスターパーフェクト」の味を知っている辛口のイングランドファンが満たされることは決してなかった。

 

 そのイングランドが、ついにジョニー・ウィルキンソンの後継者を見つけた。

 

 キックを外しても、ハードヒットを浴びても表情一つ変えないポーカーフェイス。完璧なコース取りと緩急のついたランでスーパートライを決めてもにこりともしない。ジョニーだって同じくらいの歳の頃は、もう少し感情を露にしていた。 その名は、ジョージ・フォード。

 

 今シーズンのバースの躍進にスタンドオフとして大きく貢献し、シックスネイションズでは先発としてイングランドを優勝あと一歩のところまで導いた22歳。その視野の広さと確かな観察眼からくる一瞬の状況判断の正確さで、サラセンズのシークエンスラグビーに慣れたオーウェン・ファレルがもたらすことのできなかった閃きと自由をイングランドにもたらし、クラブでチームメイトのジョナサン・ジョセフ、アントニー・ワトソンと一緒に一気にチームを変貌させた。大会直前のファレルの怪我があったものの、スチュアート・ランカスターはその前からフォードを一番手のストンドオフとして使うつもりだったはず。

 

 2008年に15歳でイングランド18歳以下代表に呼ばれると、翌年からは一学年上のファレルをセンターに従えて10番でプレー。後にはキャプテンを任され、2010年にフォード不在の試合で途切れるまで、チームは25連勝、3年間無敗を誇った。フォード自身は2008年の3月から、最年少選手として18歳で出場した2011年のU20ワールドカップ決勝でニュージーランドに敗れるまで、イングランド代表チームでは負け知らず。この年、この大会の活躍もあり、サム・ケイン、ルーク・ホワイトロックをおさえて、イングランド選手として初めてジュニアレベルでの世界最優秀選手に、史上最年少というおまけ付きで選ばれた。クラブチームでは、2009年にイングランド史上最年少の16歳と237日でレスターからプロデビューすると、控えながらも2010年と2013年には同クラブでプレミアシップ優勝を経験。

 

 また父親であり、現在所属するバースの監督でもあるマイク・フォードは13人制ラグビーの元名選手。兄のジョーも同じプレミアシップのセールでプレーする、生まれも育ちも正真正銘のサラブレッド。5歳からラグビーリーグでプレーするも、ユニオンラグビーの指導者に転向した父の後を追って、15人制ラグビーへ。8歳から父がディフェンスコーチを務めていたアイルランド代表を間近で見て育ち、11歳の時にはブリティッシュ・アンド・アイリッシュ・ライオンズのニュージーランド遠征にコーチだった父に連れられて同行。2年後の2007年には、同様に父がコーチングスタッフだったイングランド代表のワールドカップを内側から覗く幸運にも恵まれている。

 

 ワールドカップが2年後に迫っていた2013年、育成年代から代表でともに戦ってきた友人でありライバルでもあるオーウェン・ファレルが先に身につけていたフル代表の薔薇の10番を手に入れるべく、トビー・フラッドの控えという立場をよしとせず、レスターから父が監督を務めるバースへ移籍。出場時間を得ると、カオスセオリーを導入し、シークエンスではなく状況に応じた一瞬の判断を要求するマイク・フォードのトータルラグビーの下でその才能が一気に開花。今やイングランドはおろか、欧州ラグビー界全体から注目を浴びる存在となった。

 

「センスは抜群。でも、ウィルキンソンと同じように態度も良かった。普通なら練習を嫌がる年齢でも、すべてをしっかりやる意思があった。全部上手くいかない日でも、何とかしようと頑張る。それが鍵だよ。それだけの根性がある選手は多くない。」

 

 長年キッキングコーチとしてウィルキンソンを指導し、4年前からフォードのコーチも務めるデイヴ・アルレッドは、成功の理由をそう説明する。その練習量で「マニアック」とまで評されたジョニー同様、フォードも練習の虫で知られ、ファンにとっては、そのラグビーだけに集中する姿勢と完璧主義、ゲームで見せる冷静さと謙虚な性格も『ウィルコ』を思い出させ、いまだヤンチャぶりが時折垣間見えるファレルとは対照をなす。

 

「グラウンドだけでなく、普段の生活でも常に歳以上に大人びた子供だったよ」

 

 そう語る父マイク・フォードの言葉は、「息子として見る前に、一人の選手として見る。いつだってその区別はしてきたよ」と2013年に自らの率いるチームに息子を呼び寄せた時にも語っていた通り、親バカが徹底的に排除された純粋に客観的な観察だろう。

 

 スペースを見つける能力に一瞬の判断力。スキルの面でもパス、ラン、流れの中でのキックは既に一級品。現状での唯一の不満はいまいち安定しないプレースキック。先週末にダブリンで行われたヨーロッパクラブチャンピオンズカップ準々決勝のレンスター戦では、パス、キックだけでなく、自らのスーパーランでも相手守備陣を切り裂き、ワントライワンアシストでチームを引っ張るも、プレースキックを2つ外し、イアン・マディガンが6本すべてのペナルティキックを決めたレンスターに3点届かずに敗れることになった。

 

 母国でのワールドカップ開幕まで残り5ヶ月。12年前にイングランドに初めてウェブエリストロフィーをもたらした10番は、両足を自由自在に操り、大事なところでは必ず決めた。ミスターパーフェクトにはまだ及ばないが、若いフォードはやることはわかっている。怪我がない限り、ランカスターは大会本番でもフォードに10番のジャージを預けるはず。2015年10月31日トゥイッケナム。決勝のゲーム後のグラウンドにフォードの笑顔を見つける時、イングランドは、ウィルコの代わりではない、新しいヒーローを手に入れる。

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